第8期国会が開幕:新たに国会入りした議員の横顔(2)
2008年05月27日付 E'temad-e Melli 紙
上段:左からエラーヒヤーン、サファーイー、下段:左からノウバーヴェ、デフガーン、エブラーヒーミー
上段:左からエラーヒヤーン、サファーイー、下段:左からノウバーヴェ、デフガーン、エブラーヒーミー

女性二名、ジャーナリスト一名、テレビ・アナウンサー一名

 第7期国会原理派は、イラン・イスラーム・アーバードギャラーン連合として二人の文化人・スポーツ選手(サイード・アブーターレブ、及びアミール・レザー・ハーデム)を国会に送り込んだ〔※訳注:アブーターレブはドキュメンタリー制作者で、ハーデムは元レスリング選手。いずれも原理派包括連合の推薦を受けテヘランから出馬したが、落選〕。対して第8期国会は原理派統一連合から、ジャーナリストとしてビージャン・ノウバーヴェ=ヴァタンを送り込んだ。ノウバーヴェはイラン国営放送の記者として、パキスタン支局、英米支局、国連支局などに赴任、報道中央局国内外報道総局長、ジャーメ・ジャム報道政治番組局総局長などを歴任し、国会議員にたどり着いた。

 もう一人のテヘラン選出議員ハミード・ラサーイーは、ゴム州文化イスラーム指導局総局長、文化イスラーム指導相顧問、「近代史の潮流を知る」事務所の創設者・局長などを歴任した。また国会は今回、スポーツ番組のアナウンサーを迎え入れることになった。スポーツ・ニュースのキャスターを務めてきたアリー・レザー・デフガーンは、今後フーゼスターン州イーゼ選出議員として活動することになる。

 テヘラン市民は二人の新人女性議員を迎えることになった。その一人ザフレ・エラーヒヤーンは医師で、女性NGO連絡ネットワーク中央評議会の委員、全国大学生バスィージ姉妹相談局責任者、テヘラン諸大学大学生バスィージ姉妹局責任者、北部地域革命防衛隊医療部長、テヘラン諸大学卒業生女性協会理事長などの経歴の持ち主だ。

 もう一人はテイベ・サファーイーで、イマーム・サーデグ大学婦人部修士課程教官、テヘラン教育研究評議会委員、第9期大統領〔=アフマディーネジャード大統領〕府女性・家族問題センター長企画顧問など、教育関連の経歴が並ぶ。

著名宗教指導者が二名

 今回国会入りを果たした議員の一人に、モハンマド・エブラーヒーム・ネクーナーム〔エスファハーン州ゴルパーイェガーン選出〕がいる。彼は、宗教指導者特別法廷の検事で、ハータミー政権時代に内務相を務め、「ホルダード」紙の発行責任者であったアブドッラー・ヌーリーに対する44ページに及ぶ起訴状を用意したことで有名な人物だ。起訴状の中でヌーリーは、イマーム・ホメイニーの見解に対する侮辱ならびに敵対、アーヤトッラー・モンタゼリーの政治的〔見解の〕流布、イラン自由運動及び国民戦線に対する支持、アメリカとの関係〔修復の主張〕の流布、イスラエル国家の承認、体制責任者及び関連機関に対する誹謗中傷、人心その他を煽動し傷つける目的での虚偽の流布、反体制プロパガンダ活動、反宗教的内容の流布、宗教的神聖性への侮辱、体制責任者に対する誹謗中傷、などの罪に問われていた。ネクーナームはしばらくの期間スィースターン・バルーチェスターン州司法総長を務め、その後司法権長の顧問に任じられた。

〔訳注:「ホルダード」紙は有名な改革派新聞で、ヌーリーの逮捕と同紙の発行停止は当時の改革派と保守派の権力闘争を象徴する出来事の一つとされる。モンタゼリーはホメイニーの後継者と目されながらも、体制による人権侵害を批判したことからその資格を剥奪された人物。ハーメネイー最高指導者の宗教的・政治的権威を認めない発言を行ったことから一時自宅軟禁に。イラン自由運動はイスラームの宗教的価値観と西洋民主主義の両立を目指す政治集団。同運動の指導者バーザルガーンは革命後ホメイニーから暫定政権の首相に任命されたが、米大使館占拠事件で総辞職。その後体制に批判的な言論活動を国内で行っている。国民戦線はモサッデグ石油国有化運動に連なる民主化運動の団体。イラン自由運動とともに、イスラーム共和国の国是「法学者の監督」論を否定。〕

 ホセイン・エブラーヒーミーも、「闘う宗教指導者協会」のメンバーの一人である。彼は第2期国会でテヘラン州ヴァラーミーン選出の議員であったが、第8期国会では南ホラーサーン州ビールジャンド選出議員となった。彼はまた、最高指導者による地方州訪問の代理、アフガニスタン問題担当の最高指導者代理、モスク問題調査センター所長などを歴任してきた。

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( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:13938 )