トルコ代表チームが敗れると耐えられない:作家パムクのインタビュー
2008年06月02日付 Hurriyet 紙
ドイツの影響力のある雑誌のひとつであるシュピーゲル誌は、トルコのサッカーについて、ノーベル賞作家のオルハン・パムクの発言を掲載した。「サッカーは言葉以上に速い」というインタビュー記事では、パムクは父親とともにフェネルバフチェの試合を見に行ったことを話した。さらに超民族主義者と自身が位置づけたテリム監督(が率いる)にもかかわらず、ユーロ2008でトルコを応援すると話した。パムクの発言のいくつかは次のようなものである。
■ 私の家族は熱狂的なファンだった
「もちろんユーロ2008の試合を見ます。ただ、トルコ代表チームが負けたときには耐えられません。気持ちがなえます。(チャンピオンズ・リーグの)フェネルバフチェ対チェルシーの試合の後半は見ませんでした。負けていたからです。残念ながらトルコ人選手は子供のように絶えずボールを奪われていました。小さいころはフェネルバフチェを応援していました。私の家の雰囲気は今日熱狂的といわれるようなものでした。父と試合を見にも行きました。記憶に残っている一番の思い出は、ゴールではなく、フェネルバフチェの黄色いユニフォームを着た選手が、グランドに飛び出していったことです。それはまるで黄色いカナリヤが鳥かごからグランドに解き放たれたようでした。この表現は詩のようで気に入っていました。
■ 宗教のようだった
サッカーチームに対する熱意は宗教のようでした。そのことに理由なんかありません。いまだに1959年のフェネルバフチェを覚えています。私たちは貴賓席(に隣り合うところ)に座っていました。隣にはブレヒトの作品にある資本家に似たタイプの人が座っていて、葉巻タバコを吸っていました。選手たちに、愚かな労働者をとがめる社長のように振る舞っていました。これをとても悪いことだと思いました。チューイングガムのおまけの、当時有名だった選手のカードを集めていました。今これらをネットで購入しています。18ヶ月上の兄とカーペットの上でボールベアリングで試合を再現していました。私たちのうちの一人がラジオのように実況中継していました。サッカー選手の名前を間違えて言ったときには、静かに合図して教えました。なぜなら何百万の人が私たちの放送を聞いていると想定していたからでした。
作品でサッカーに関して書いたことがあります。1990年に出版した「黒い本」のなかでイスタンブルにやってきて妻を捜すヒーローがいました。そのころちょうどトルコ代表チームの試合でトルコはイングランドに8-0で負けました。その男はこの試合をラジオで聞いていました。イングランドのサッカー選手は(プレーの上で)トルコの選手をあざ笑いました。私にとってこの敗北はトルコの状況への暗喩であり、貶められた気持ちでした。この本はとても厚かったので、後にこの箇所だけ取り除きましたが、今は後悔しています。
■ とても情けないことだった
ポルトガル独裁者のサラザール氏は、自国をサッカーへの援助によっても統治していました。彼によるとサッカーは国民にとってのアヘンのようなものでした。私たちにとってもこのようなものであるならば、嬉しく思います。しかしトルコではサッカーはアヘンではなく、民族主義、外国に対する敵対心、権威主義的考えを呼び起こす機械のようなものです。さらに勝利ではなく、敗北こそが民族主義を煽り立てると考えています。
民族主義は、地震や敗北した闘いといったような災難から生まれます。イングランドに8-0で負けたこともこのような災害と同じです。
トルコでは今日サッカーは民族主義に貢献していますが、国民に対しては貢献していません。
■ アルメニアに勝つ
秋にワールドカップ予選でアルメニアとの試合がおこなわれます。トルコは勝つはずです。技量の上でトルコ代表チームは明らかに上だからです。勝つと願っています。でも負けたら、人々はきっと「こんなこともある。アルメニア人も我々と同じ人間だ」と言うでしょう!(実力差がある中)このような態度はあっていいものでしょうか?いや、それほど私はおめでたくありません。
代表チームの監督であるファーティフ・テリム氏は超民族主義者でありますが、ユーロ2008で(インタビュアーである)あなたがドイツ代表チームを応援するのと同じように、もちろんトルコを応援します。けれども、私は熱狂的にではありません。
もうひとこと。フランスのサルコジ大統領が、トルコはヨーロッパに属していないと発言しますが、私たちも彼に向かって「フェネルバフチェは50年もの間ヨーロッパの一員だ」と言うでしょう。
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( 翻訳者:小川玲奈 )
( 記事ID:13974 )