Turker Alkan コラム:キュウリとトマトの並べ方は?―「禁止」全盛の風潮に思う
2008年06月03日付 Radikal 紙
どうして昔の詩人たちが恋人を果物や野菜にたとえたのか、私は存じ上げない。恋人の頬をリンゴにたとえたり、唇をサクランボにたとえたり、目をブドウにたとえたりしたら、恋人が八百屋と何も変わらなくなる。こんなたとえに、ロマンチックでセクシーな面などありゃしない、というのが本音だ。
しかし、このようなたとえを未だに本気にする人々がいるとはびっくりだ。ついこの間まで、イラクのモースルはアル・カーイダの支配下にあった。イラク軍が街をアル・カーイダから解放して、アル・カーイダ独特の様々な統治手法は世の知るところとなった。
アル・カーイダは八百屋でキュウリとトマトを隣り合わせに並べるのを禁止したそうである。そうした場合、性的な連想を喚起してしまうからということらしい。トルコの極めて想像力たくましい詩人たちでも、ここまでは考えつかないように思われる。そして、この禁止に従わない者に対する罰則はというと、死刑とのこと!
それとは別の禁令の根拠は、預言者ムハンマドの時代に存在しなかった事柄を行うこと、である。彼らは製氷工場の操業を認めなかった。預言者ムハンマドの時代に果たして製氷工場があろうか?預言者ムハンマドの時代に膨らませたパンはなかった。ゆえに、膨らませたパン〔の製造・消費〕も罪のなかに含まれていた。
タバコと酒類の禁止だけでは飽き足りないかのように、電動カミソリの使用も禁止された。罰則はもちろん死刑。預言者ムハンマドの時代に電動カミソリがあろうか?
「おぉ、神よ!こんなことがあっていいのでしょうか?」とはおっしゃいますな。こうして現に、あるのですから。アル・カーイダはアフガニスタンでも同様の禁令を適用したのではなかったか?女性が顔を見せたり、独りで出歩いたり、家をでて仕事に就いたりするのは禁止だったし、女性が読み書きを習得するのは禁止だったし、ハイヒールを履くのも踵を見せるのも禁止だった。子供が凧あげをするのも、男性があごひげを剃るのも禁止だったし、チューインガムをかむのも禁止だった・・・。
幸いなことに、我々の禁止リストはそこまで長くはない。トルコの八百屋ではキュウリとトマトが隣同士で並んでいるのだ。少なくとも、いまのところは。
けれども、これまでは禁止されてこなかった様々な事柄を禁止する方向での努力がなされている。ロカンタ〔定食屋〕やホテルでの酒類の提供は禁止されようとしているし、手を繋いでいる若者たちは叩かれるし、複数のトルコ代表選手をそのメンバーに含む漕艇チームは、ショートパンツ姿で歩き回ったから、と叩かれる。
宗務庁は「男女がいちゃつくこと」を禁じる・・・。
これらはここ数日間の出来事だ。
更に言えば、公正発展党の解党請求訴訟が進んでいるときに起こった出来事である。
アル・カーイダの論理に照らせば、ありえない話ではない。預言者ムハンマドの時代に男女がいちゃついたり、漕艇競技会があったりしたのだろうか?
そして、我らが外相は、欧州議会でこの状況に相応しい演説をし、トルコではムスリムの大多数が抑圧されている、と高らかにのたまう。
袋叩きに遭った若者たちや漕艇選手たちの状況に言及してしかるべきではないか。彼らだって、ムスリムではないのか?
こうして、かの言い古された問いに我々は向かい合うことになる:イスラーム諸国はどうして民主主義や発展にまつわる諸問題から逃れられないのだろうか?
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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:13985 )