ペルシア語訳・村上春樹短編選集『どこであれそれが見つかりそうな場所で』をめぐって(1)
2008年05月31日付 Jam-e Jam 紙


もはや、偉大なるヒーローたちは死した。

【アーラシュ・シャファーイー】ハルキ・ムラカミ(村上春樹、1949年東京生まれ)は、間違いなくアジア及び日本で最も名を知られた現代作家である。世界16ヶ国語への翻訳や、これまでに獲得した数々の賞、および、ミリオンセラーとなったいくつもの本などは、彼がアジアや日本で最も名の知られた作家であるという事実の一部を示しているにすぎない。

 なぜなら、村上の名声は、今や次第に国境を越え、国際的で独自のスタイルを持つ作家として評価されているからだ。また、多くの人々が、彼がほどなくしてノーベル文学賞を手にするだろうと信じている。村上はノーベル賞を受けるに値する作家であり、昨年も彼の名は、同文学賞の最有力候補の一人に挙がっていた。

『どこであれそれが見つかりそうな場所で』[訳注]は、村上春樹の短編小説選集である。昨年ボゾルグメフル・シャラフォッディーンの翻訳により出版され、その年のうちに増刷された。
[訳注]短編集『東京奇譚集』に収められた2005年の作品のタイトル。

彼の小説『海辺のカフカ』も昨年ペルシア語に翻訳され、読者らに好評をもって迎えられた。いまや村上はペルシア語を母語とする読者にも広く親しまれており、我々は彼の小説やエッセイ、対談がさらに翻訳されるのを待たなければならない。

以下では、ペルシア語訳短編選集『どこであれそれが見つかりそうな場所で』に焦点を当て、村上文学の世界を探ってみよう。



村上文学の世界

村上は、自ら述べているように、70年代アメリカのダーティ・リアリズム[訳注]、特にレイモンド・カーヴァー[1939-1988]の影響を受けている。彼は自ら、カーヴァーの小説の衝撃は彼にとって稲光ようなものであったと述べており、この点で、村上はカーヴァーのミニマリズムの継承者として位置づけられるべきである。
[訳注]70-80年代アメリカの文学運動で、ミニマリズムの一分派。言葉をそぎ落とし、事物の外面の描写に徹することを目指すもの。

彼の物語の主人公は、古典文学に出てくるような、一人で物語全体を担い、希望を託される完全無欠な英雄や勇敢なヒロインではない。村上は、偉大なヒーローたちがもはや死し、ただ主人公の存在の内に見出される、人間性の微かな光に心を留めるべき時代の作家である。

世間から距離を置き、孤独で、人生における大小の問題を抱えながら、同時に信じられないような形での複雑さを見せる人間たちは、[感情表現が]抑制的で、ミステリアスである。そして時に彼らの口からは、思いもかけないような言葉が飛び出す。

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( 翻訳者:佐藤成実 )
( 記事ID:14008 )