コラム:イラク・イラン関係
2008年06月07日付 al-Sabah al-Jadid 紙
■ マーリキーの賢明な判断、そして隣国イランに与えられた機会
2008年06月07日付サバーフ・ジャディード紙(イラク)HPコラム欄
【イスマーイール・ザーイル】
マーリキー博士のイラン訪問は、この隣の大国との間の誤解をとき、見解の相違について話し合う最後のチャンスになるかもしれない。我々の地理的、政治的位置は、アッラーの御心、つまりさだめであるが、政治理論、または実用主義的見地からみて、この隣人から逃れようとするのは無駄である。
ごく最近の歴史が十二分にそれを物語る。流血の戦争。そして、欧米特にワシントンに焚き付けられ、凶暴な独裁者の手で炎上させられた南部。多くの若者が命を犠牲にし、殺人的な破壊システムの燃料となった。狡知にたけた地域戦略というものが浮上してくる昨今、虐殺が再び起こる可能性はある。
隠しおおせない現実として、イランを攻撃するというアメリカの威嚇がある。言うまでもなく、我々は、ワシントンがこの脅しを実行に移すのを止められる立場になく、軍事的に態勢を整えられるわけでもない。我々は危険を冒せる状況になく、イラン国民からの責めを負うわけにはいかない。しかし厄介なのは、イランの政策提言者諸氏が、我々の尺度や見地、将来の見通しといったものにはそぐわない物差しを用いていることである。
我々は、地域の専制君主に押し込められたガラス瓶から出たばかりである。脱出以前に全ての力を使い果たし、苦難の大海の中にいる。家の残骸を眺めて再建の日を待っている状態だ。さて、残念ながらイランの指導者たちは、軍備を万端にし核兵器クラブに参加する用意までしている。また、他の中東諸国のように、あらゆる分野でアメリカを挑発しその利益に抗し、その敵と同盟を結んでアメリカの計画を挫くべく協調し、かの国を敗退させるため昼夜を問わず努力している。
端的に言えば、これらは我々イラクの力の及ぶところではなく、我々の現在の志からはかけ離れたところにある事態である。度重なる戦争で数百万の犠牲を出し、更に数百万が避難して行った。その結果、我々の政治舞台は、暴力の徒、軍事主義者に支配される事になった。それにもかかわらず、クルド自治区の村がイランの戦車に砲撃されれば、我々の指導者たちは微笑とおざなりの非難で済ます。明らかになったところによればイラン製のロケットが連合側に降り注いでいるというのに、我々の指導者達は、全て順調と言い張りイランの脅威は誇張されているのだとの立場を崩さない。
そして駐バグダード・イラン大使は、民主的に選出された我々の政府による政策をよどみなく批判し、再びアメリカの不滅の敵としての旗を掲げ、イラク国民の最後の血の一滴までも戦うことを要請してくる。
しかし我々は、イランの兄弟たちに言おう。ちょっと待て。最後尾の者が最優先になり、最初だった者が最後に回ったのを、我々は見ている。兵力による支配よりも正義と真実による支配の方が強い。イラクは大きく豊かな国で地域に深く根を下ろしている。願わくばアッラーが、イランの指導者たちに、イラク国民との和解と、我々に対する親愛の情を賜りますように。
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:14023 )