ミュルキエ(アンカラ大政治学部卒)詐称は、訴えます
2008年06月20日付 Milliyet 紙

 ミュルキエ出身者協会は、アンカラ大学政治学部卒でない人たちが、『ミュルキエ』という名称を使用することを阻止するため、訴訟を起こす準備をしている。

 イスタンブル大学政治学部卒業生の一部がアンカラ大学政治学部と同義と見なされている「ミュルキエ」という名称を使用し、反発を招いている。ミュルキエ出身者協会のアリ・チョラック代表は本紙に対し、アンカラ大学政治学部はオスマン帝国期に設立され、その後アタテュルクの指示で1936年にアンカラへ移転したミュルキエ(行政学院)を継承していると述べた。同代表は、アンカラ大学政治学部の卒業生が所属するミュルキエ出身者協会の関係者が、「ミュルキエ」と書かれた公認のバッチを使用していることに注目を求めている。
 チョラク代表は、イスタンブル大学政治学部は1970年代に設立され、ミュルキエとは何の関連性もないと述べた。同代表は続けて、イスタンブル大学政治学部の卒業生の一部も参加しているインターネットサイトhttp://www.siyasal.org/にある「ミュルキエ」のリンクをクリックすると、イスタンブル大学政治学部のサイトにアクセスすることを明らかにし、以前に警告をしたこのサイトについて訴訟を起こすべく準備を進めていると明かした。

■帝国行政学院

 帝国行政学院は1859年、イスタンブルで設立された。1918年にミュルキエ(行政学院)と名称変更され、国民教育省付属となった。1936-37教育年度には、アタテュルクの希望でアンカラへ移転し、政治学学校の名前で教育を開始した。

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( 翻訳者:永井ひとみ )
( 記事ID:14112 )