アリー・アシュタリー(43歳)、3年間にわたるモサドへの情報提供を自供
【政治部】アリー・アシュタリーはシオニスト体制に協力し諜報活動を行った罪により、死刑を宣告された。
第一審の判決でも、同被告は敵の戦闘員と認定され、死刑を言い渡されていた。情報省のある当局者はこのことについて、革命裁判所全体がアリー・アシュタリーをめぐる判決に関して意見の一致を見ていると語った。〔テヘラン革命裁判所長官の〕ホッジャトルエスラーム・モバッシェリーもまた、同判決に賛同している。他方、被告人は依然として国の司法プロセスの枠内において、判決に不服を申し立てる権利を有している。
シオニスト体制のスパイの人物像
シオニスト体制のためにスパイ行為を行った罪で逮捕されたアリー・アシュアリー(43歳)は、テヘランとドバイにある貿易会社の経営者を17年間務めた人物で、技術・電子工学分野の専門家である。彼は複数の会社の株主でもあり、治安・国防関連の施設に納入する電気設備の買い付け事業で、数カ国と協力関係にあった。
情報省スパイ対策局長は、アリー・アシュタリー及び彼の行動について次のように語った。「被告人はイランの一部の政府系機関から協力を依頼されていた。これらの機関は電気設備を調達するよう彼に発注していたのである。彼の能力を知った〔イスラエルの〕情報機関モサドは彼に接近し、彼との協力を通じて自らの願望を達成しようとした」。
同局長は、イランの様々な政府系機関と関係を有し、貿易・財務にかかわる仕事を名目に、海外に何度も出かけていたアシュアリーは、ある旅行中にシオニスト体制の情報機関の罠に捕われたと強調しつつ、「彼らはアシュタリーの家庭内不和や道徳的・金銭的問題を察知した上で、彼を協力者として選んだ」と語る。同局長によると、アシュタリーがモサドに協力した当初の動機は金銭的なものであったという。
(中略)
情報省スパイ対策局長は、モサドは3年間アシュタリーから情報を取得していたと指摘しつつ、電子工学の分野におけるアシュタリーの能力に着目した一部の関連機関、さらに非関連機関までもが技術的な問題に精通した人物として彼に相談を持ちかけていた。このことが、彼がイスラエルの治安機関に提供していた情報へのアクセスを容易にしたと強調した。
同局長は、アシュタリーの職場と住居から機密文書を発見したこと、また〔イスラエルと連絡を取るための〕関連の通信機器を押収したことに触れながら、情報省もまた独自の方法で容疑者の動きを捉え、16ヶ月前に彼の逮捕に成功したと語った。
(中略)
裁判所での被告人による自供
アリー・アシュタリーは裁判所において、イラン・イスラーム共和国に敵対し、シオニスト体制を利するような諜報活動の詳細につき説明した上で、モサドへの情報提供・協力により、莫大な金額を受け取ったことを明かした。その一方で彼は、裁判の終わりでイラン国民に対し謝罪し、イスラームの慈悲を懇願した。
このイスラエルのスパイは、通信製品や治安保全システムを国内で販売し、特定の顧客を有していたことに触れた上で、次のように語った。「一部の国々にとって、これらの製品は注目の的であった。これらの製品の顧客が誰であるのか、そしてどのようにイランに輸入されているのかが、彼らの関心事であった」。
アシュタリーは、外国でのあるセミナーにおいて複数の人物の怪しげな行動を見かけたと強調した上で、「それらの人物は私との接触の中で、資金の貸し付けや自分の会社の株の買い取りなどの話を持ちかけ、自分のプロジェクトに投資する意思があると述べていた」と語った。
アシュタリーは、自らの自供の中でさらに、一部のイスラエル情報当局者の名を挙げつつ、彼らから金銭を得たこと、Eメールで彼らに情報を提供したことに触れた上で、「自分は無意識のうちにイスラエル情報機関の罠に引っ掛かってしまった。モサドと協力しているとは思いもしなかった」と語った。彼はモサドの連絡員と13回にわたり面会したとし、かなりの金額が2度にわたり現金で引き渡され、〔‥‥〕貸し付けという形で供与されたこともあった」と語った。
(後略)
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( 翻訳者:柴田愛子 )
( 記事ID:14208 )