モハンマド・ラフマティー道路運輸相「引退」:第9政権8人目の大臣交代(その1)
2008年07月13日付 Jam-e Jam 紙

【経済部】水面下での動きをめぐって様々な矛盾した報道が流れてから一年半、ついにハータミー、アフマディーネジャード両政権を通じて閣僚ポストを維持してきた唯一の人物が、この度「引退」という形で第9政権を去ることになった。

 本紙記者の報告によると、モハンマド・ラフマティー(50)はアフマディーネジャード政権を去る8人目〔内相、経済財政相教育相鉱工業相、石油相協同組合相福祉相〕の大臣となる予定だ。なんと、国会担当副大統領、中央銀行総裁、かつての行政企画庁長官、さらに故法務相を閣僚交代の一部に加えるならば、ラフマティー氏は12人目の閣僚として、荷物をまとめて〔道路運輸省のある〕アッバースアーバードの庁舎を去ることになる。

 ラフマティー氏交代は一年半前から話題になっており、このことについて〔政府内で〕協議さえ行われた。道路運輸省次官で海運港湾機構代表であったアリー・ターヘリー・モトラグ氏は当時、道路相のポストをめぐって、大統領と一連の協議を行った。しかしそれでもなお、双方が折り合うことはなく、結果的にラフマティー氏がその後も自らの職務を継続することになった。約2週間前、再びラフマティー氏の辞任がマスコミ界で話題になり、数人の後任候補さえ提起されたが、道路運輸省広報局長ははっきりとこの噂を否定したのであった。

 とはいえ、政府の沈黙は疑念を呼び起こし、噂の真実性をめぐって憶測が強まっていた。

 そしてついに昨日朝、ゴラームホセイン・エルハーム政府報道官は、ラフマティー氏が「引退」のために道路運輸省を去るという報道を認めた。引退という言葉の選択も明らかにラフマティー氏自らによってなされたものであり、それは内閣を去った他の大臣たちのように、周辺的な問題に巻き込まれたくなかったためであった――実際彼らはそのために、辞任したのではなく解任されたのだということについて、詳細を明らかにすることを余儀なくされてきた。これに対して、遅かれ早かれ第9政権内閣から去ることになるということを知っていたラフマティー氏は明らかに、尊厳ある退場を望んでいた。

 ラフマティー氏は1337年〔1958年度〕にヤズドに生まれ、今年50歳になったばかりである。彼はテヘラン大学で〔‥‥〕修士号を取得、アフマド・ホッラムの後任として国会から信任を得た83年バフマン月〔2005年1~2月〕まで、道路運輸省道路建設・開発担当次官、ならびに鉄道公社代表を務めた。

 ラフマティー氏は昨年エスファンド月〔2008年2~3月〕、「あなたは自ら辞職を願い出るような人間か」との記者の質問に、冗談まじりに次のように答えている。「私はヤズド出身の人間にすぎないよ!」。あれから4ヶ月が経った今、ヤズドの人も辞職を願い出ることがあるということが明らかとなった格好だ。

(つづく)


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( 翻訳者:佐藤成実 )
( 記事ID:14306 )