イスラエルとヒズブッラーが捕虜交換
2008年07月18日付 al-Quds al-Arabi 紙
■ 祝祭で殉教者を迎えるレバノン…テルアビブ、ナスラッラーの無事は保証しない
■ アル=クンタール、イスラエルによる暗殺の脅威を嘲笑、ナハリヤ作戦への参加は後悔せず
2008年07月18日クドゥス・アラビー紙(イギリス)HP1面
【ナーシラ:ズハイル・アンドラーウス(本紙)】
レバノン人捕虜の代表格サミール・アル=クンタールは、イスラエルによる暗殺の脅威を嘲笑し、30年間の捕囚の原因となったナハリヤ作戦に参加したことを後悔していないと述べた。
イスラエル高官が自国情報機関によるクンタール暗殺を示唆する一方、イスラエル政治関係筋は、捕虜交換取引との関連でヒズブッラー書記長ハッサン・ナスラッラーを攻撃しないという措置は、特に取られていないとし、書記長には避難所に留まるよう警告した。
ベイルートでは、イスラエルから返還されたレバノン、パレスチナ他アラブ国籍の遺体180を「殉教者」として迎えるセレモニーが盛大に行われた。取引の一環として解放された捕虜も迎えたため祝祭ムードのレバノンとは対照的に、イスラエル側は悲痛な雰囲気の中、兵士2名の葬祭を執り行った。
イスラエル北部ナハリヤの街では、2年前、レバノン人1200名イスラエル人159名の犠牲を出した34日間戦争の引き金となった捕虜、エフード・ゴールドワッシャーとエルダード・レゲブの葬式に数千名が参列し、その模様がテレビ中継された。
ナークーラ(レバノン南部)では、「ラドワーン作戦」と書かれ花で飾られたトラックにレバノンやパレスチナの旗で包まれた遺体が並び、ヒズブッラー主催のセレモニーを経て葬列が出発する前には米や花がその上に振りかけられた。
葬列は、黄色いヒズブッラー旗や遺体となった戦闘員らが属していたレバノンの政党の旗で飾られた南部海岸沿いの街々を巡り、ヒズブッラー拠点であるベイルート南郊外でもセレモニーが行われた。
昨日木曜(17日)付け「ハ・アレツ」紙によれば、ベイルート南郊外で、解放されたレバノン人捕虜を出迎えるセレモニーにナスラッラーが姿を現した後、あるイスラエル筋は、「ヒズブッラーとの捕虜交換取引においてイスラエルは、ナスラッラーに手を触れないなどと誓約した覚えはなく」、したがって「隠れ家の外をうろつくことはナスラッラーにとり危険であるので」勧められないと述べた。
また、昨日付け「イッディオート・アハロノート」紙では、同紙政治特派員シャムウーン・シーファーがイスラエル高官の話として次のように伝えている。
「水曜(16日)、ヒズブッラーとの捕虜交換取引の一環として解放されたサミール・クンタールは死刑を宣告された」、「イスラエルの手が伸び同人を粛清するであろう」、「イスラエル情報機関はクンタール暗殺が遂行されるまで心休まらない」、「刑務所を出た後の事については、結局罪を清算しなかったこの卑劣な殺人者に対して我々は何ら責を負うものではない」
シーファー記者は、「この匿名のコメントに賛同する人」々の言葉として、「クンタールには公の場に頻繁に登場しないよう警告する」、「なぜなら、彼のような人物が白日の下うろつくことは不正であるとみなされるので」等を伝えている。
木曜、アビーフ(ベイルート南東)の町で行われた帰還祝賀会でクンタールは、1979年、少女を含むイスラエル人3名の殺害に至ったナハリヤ作戦を実施した事を後悔しないと断言した。
公式筋によれば、ヒズブッラーとの捕虜・遺体交換が終わる早々イスラエルは、ヒズブッラーの「テロリスト的」性質を強調する国際メディアキャンペーンを開始、オルメルト首相、イスラエル外務省、ユダヤ協会(イスラエルへの移民を奨励する政府外郭団体)等に従う広報機関が、世界メディアに対し、「サミール・クンタールの真の姿」なるドキュメンタリーフィルムを公開している。
他方、「マアリブ」紙が転載したアラブ情勢分析記事では、ヒズブッラーとイスラエルの戦いは、実戦の場でも捕虜交換においても、レバノン側が勝利しイスラエルは敗北しているとの見解が示されている。
イスラエル人分析者によるこの記事は、ヒズブッラーが設立以来レバノンにおけるイスラエルのプレゼンス追放のために動いており、他のアラブ諸国を引き込みそれに成功する一方で、イスラエルは、最新の捕虜交換取引に明らかなように、自国の力や優位を活かしきれていないと指摘している。
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:14313 )