参謀本部のインターネット・サイトに掲載された文章には、1963年以降、ギリシャ系住民による武装攻撃の結果、キプロス島のトルコ系住民が圧力により国政から遠ざけられた、と述べられた。また、ギリシャ系住民がキプロス島のギリシャ本国への帰属を目的とする、エノシスを実現するために行った襲撃と禁輸措置を増強し、継続したと説明されている。またその文章には、1974年に到達した時点でギリシャ軍事政府は、キプロス島併合の時が来たと信じていたこと、しかしマカリオスをこの併合の障害として見ていたことが書かれている。
同文章には、「トルコが1974年8月16日に休戦を宣言後、キプロス島のトルコ系住民は自由を手にした。その日から今日まで継続しているキプロス島におけるトルコ軍の存在は、島の平和と両者の安全を保障するものなった」と書かれている。
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( 翻訳者:小川玲奈 )
( 記事ID:14334 )