イラン体育庁、オリンピックに出場する代表選手に警告「入れ墨、外国ラジオとのインタビューは禁止」
2008年07月22日付 E'temad-e Melli 紙
ドーハで開かれたアジア競技大会にバスケットボール・ナショナルチームのメンバーとして出場したハーメド・ハッダーディーは、腕に入れた入れ墨をテープで隠さねばならなかった
ドーハで開かれたアジア競技大会にバスケットボール・ナショナルチームのメンバーとして出場したハーメド・ハッダーディーは、腕に入れた入れ墨をテープで隠さねばならなかった

【ヒーヴァー・ユーセフィー】2008年オリンピック開催まで3週間足らずとなった。そのような中、体育庁はオリンピックに出場するイラン人選手に対して、制約をともなう一連の規則を発表した。それは外国メディアとのインタビュー禁止に始まり、入れ墨の禁止、国歌の暗唱に至るものだった。

 体育庁文化局長で「アジア競技大会・ワールドカップ・オリンピック文化監督本部総書記」を務めるマフムード・セイダーンルー氏はメフル通信とのインタビューの中で、オリンピックでは競技の結果よりも選手たちがどのように参加したかが重要だとの認識を示し、次のように語った。
イランのスポーツは多くの分野で、世界の強豪と肩を並べるような状態にはない。しかし我が国の選手たちの倫理性についていえば、ライバルたちと互角に戦い、この分野での金メダルを自らのものとすることも可能だ。

北京での戦いにイラン選手がいかに参加したかが、結果よりもずっと重要だ。彼らは戦いにどのように臨み、どのように行動したかによって、多くのメッセージを世界の人々に伝えることができる。それゆえ、北京オリンピック競技との関連では、倫理・文化的な問題を、われわれは真剣に追求するつもりだ。このことについて違反行為があった場合には、いかなるものであれ、厳正な対処が行われることになるだろう。

 「2008年北京オリンピックに派遣される一部チームの選手には、時に人目につく形で、体の一部に入れ墨を入れている者がいる。このような人物にはオリンピック競技に参加する権利はない」。

 セイダーンルー局長は、具体的な競技名については言及しなかったが、彼が念頭に置いているのはバスケットボール・ナショナルチームのメンバーであるようだ。イラン・チームのバスケットボール選手の中には、NBAリーグのバスケットボール選手をまねして腕に入れ墨を入れている選手がいるが、彼らは以前にも、2006年にドーハで開かれたアジア競技大会をはじめとする一部の公式試合で、アームバンドや布で入れ墨を隠すことを強いられていた。

 セイダーンルー局長によれば、入れ墨はイスラームの文化や規範に反しており、イラン人選手が入れ墨をすることは許されていないという。
入れ墨の禁止は、場所を問わない。国内であろうと海外であろうと、入れ墨の禁止は遵守されねばならない。これを無視し、特に世界中が見守るオリンピック競技という舞台で、入れ墨が彫られた体のまま出場するような選手がいれば、違反者として厳正な対処が行われることになるだろう。選手は入れ墨の入った部分を何らかの方法で隠し、人目に触れないようにしなければならない。

 同局長はまた、海外の(foreign)ラジオ、言うところの「よそ者(alien)ラジオ」とのインタビューに応じた選手には、厳重に対処するとも語った。インタビューが禁止されたラジオ局の具体名については明かされなかったが、しかしこの制限はペルシア語放送のラジオに限られるようだ。

 セイダーンルー局長はメフル通信とのインタビューの中で、それと名指しはしなかったものの、卓球ナショナル・チームの選手らがヴォイス・オブ・アメリカ〔のペルシア語放送〕とのインタビューに応じ、反響が巻き起こったことを例に挙げ、次のように語っている。
しばらく前、アメリカに派遣されたとあるチームの一部選手やテクニカル・スタッフらが、あるアメリカのラジオ放送局とのインタビューに応じたことがあった。このことはもちろん、体育庁の責任者らの知るところとなり、彼らの《反応》を惹起した。北京オリンピック開催期間中にこのような出来事が起きた場合には、その結果は《反応》どころではなくなるだろう。

文化革命最高評議会は、いかなるものであれ、選手らが《よそ者メディア》とインタビューを行うことを禁じている。この禁止は、国のすべての機関に対して命じられたものであり、スポーツ機関もその中に含まれる。それゆえ、我が国のスポーツ選手は、いかなる条件の下であれ、《よそ者メディア》の記者や特派員らと話をする権利をもたない。

 同局長は、これらの規則を無視した選手やコーチらにはいかなる決定が下されるのかとの質問に、次のように答えている。「これらの規則に従わないことは、違反と見なされる。われわれが違反者たちに妥協することはない。犯罪者に対する対処の仕方は、競技の状況など、様々な要素に応じて決められる。特にこのことで前科がある場合には、〔市民権などの〕剥奪も考慮する可能性がある」。

 セイダーンルー局長によれば、イラン国歌演奏・国旗掲揚の際の選手らの行動に対しても、体育庁は厳格に監督を行うことになるという。「国歌や国旗に敬意を払うことは、すべての選手に義務付けられている。我が代表選手たちはオリンピック競技の舞台で、国歌演奏・国旗掲揚の際、手を胸のところ(心臓がある部分)に当て、あるいは身動きすることなく自然な状態で直立することが求められている」。

 同局長は国歌演奏の際には右手を心臓の部分に当てるよう、選手たちに要求しているが、その一方で二年前、アメリカ人のマネだとの理由で、選手たちがこのような行為をすることは禁止されていた。セイダーンルー局長はこのような疑問について、次のように説明している。「もちろん、アメリカ人も多くの場合、国歌・国旗に敬意を払うために、手を胸に当てている。しかし、このような動作はその昔、イラン人選手によって初めて行われ、流行したものなのである。それゆえ、このような動作を行うことに、何ら障碍はない。心臓は人間の感情にとってもっとも重要な源泉であり、人間の意志の高まり示すものなのである」。

 昨日、セイダーンルー局長の発言と相前後して、全国査察機構スポーツ監督査察局のガーセム・クーヘスターニー局長も、イランの各サッカー・チームの責任者らを前に、国歌をろくに歌えていないとしてナショナル・チームの選手らを批判した。
残念なことに、クラブ・チームは文化的な仕事にはあまり熱心でないようだ。ナショナル・チームがワールド・カップに行っても、国歌も歌えていない。実に情けないことである。ワールド・カップでは、少なくとも唇くらいは動かせと選手らに言うよう、〔チームを監督する〕われわれの代理人に求めたくらいだ。この問題からも分かるのは、われわれは文化的な問題に関して、あまり注意を払ってこなかったということだ。サッカー選手には、バスィージ〔学生を中心とする民兵組織〕の子らに対してもっているような期待など抱いていないが、しかしイラン数千年の文化に見合った行動くらいは求めたいものだ。


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( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:14349 )