エルゲネコン起訴状に、衝撃の国家諜報機構レポート ウウル・ムムジュを殺害したのは誰?
2008年07月26日付 Hurriyet 紙
第13重罪法廷で受理されたエルゲネコン起訴状で、ヴェリ・キュチュク退役将軍の(自宅のある)「ベシクタシュのガイレッテペ地区ギョネンオール通りフィダンAブロック14-9で行われた調査」で入手された文書の詳細が明らかとなった。一部の閣僚と官僚、実業家に関する詳細な報告書があった文書の中で、最も関心がもたれたのは国家諜報機構(MİT)によって書かれ当時の首相に送られた1993年2月2日の日付がある報告書であった。
起訴状には、「明るいオリーブグリーンの色で『2005』という見出しがある手帳」で記載が確認された報告書に関しては正確に次のようにある。
「この手帳の中にある文書;1993年2月2日付けで01.789.0879-452番を付され、ソンメズ・キョクサル事務次官の署名と『極秘』という記載をもち、国家諜報機構から首相府責任者に宛て書かれた、(作成担当者の)署名入りのウウル・ムムジュに関する公式の文書で;アメリカ合衆国が中東を支配下におき、トルコが宗教に依拠した政権下に入るのを妨げる目的で、アメリカ中央情報局(CIA)の監督下でイスラエルの閣僚ハイム・バル=レムの配下にあるイスラエル『OADNA』部隊で教育を受けた6人の特別チーム『ハイレ』が海上の母艦からボートでトルコへ入国したこと、このチームの目的は新聞記者ウウル・ムムジュとメフメト・アリ・ビランドゥを殺すことであり、ウウル・ムムジュを殺したチームのメンバーは2つ目の任務としてメフメト・アリ・ビランドゥを殺すため出国せず、イスラエルのアンカラ大使館に滞在したことが確認されたとの諜報報告書であり・・・。」
■ 報告書はムムジュが死んだ10日後に書かれた
起訴状にある国家諜報機構に関するこの報告書がウウル・ムムジュが殺された10日後に書かれたことがわかっている。トゥルグト・オザルが国家諜報機構事務次官職に任命した、初の外交官出身者ソンメズ・キョクサルは、当時政界にあった正道党(DYP)-社会民主人民党(SHP)連立政権で職務を行っていた。バグダッド大使の職ののち1992年にこの任務を任されたキョクサルの報告書は、当時のスレイマン・デミレル首相へと渡されたことがわかっている。
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( 翻訳者:釘田遼香 )
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