エルゲネコン地下組織とPKKの関係、明るみに
2008年08月17日付 Zaman 紙

エルゲネコン・テロ組織とPKK(クルド労働者党)との間に深い関係があったことが、クルド系政治家の他、一時期アブドゥッラー・オジャランと交友関係にあった人々によっても裏付けられている。

オジャランの旧友で、捜査の拡大を望んでいるイブラヒム・ギュチル氏は、PKKがエルゲネコンと共に活動していたことを明らかにしている。セリム・チュリュッカヤ氏も、この情報が確かであると認めている。
オジャランが弁護士に会った最近の面談に注目するチュリュッカヤ氏は、「これは非常に興味深い。『我々はタンス・チルレルを殺害しますから、責任はあなたがかぶってください』と提案されたが、オジャランはこれを受けなかった、と言っている。ということは、国家的地下組織は殺人の首謀者を依頼をするほどオジャランに近い存在だった。チルレルの件は請け負わなかったそうだが、じゃあ、請け負ったものは何だったのか?」という問いかけをした。

また、クルド社会党のメスト・テク幹事長は、何千人もの人々の死をもたらした人たちが裁かれるために、クルド人達はエルゲネコン訴訟に参加する必要がある、と述べている。元PKK執行部のひとり、シュクリュ・ギュルムシュ氏は、過去30年間を分析しながら、次のような結論に至っている。
「エルゲネコンはオジャランと関係していた。オジャランは制圧できない人たちの殺害を、エルゲネコン組織にやらせたのだ」

トルコで今日まで解決されえなかった多くの事件の首謀者とされているエルゲネコンは、トルコの東部と南東部で何年も続いてきた暗黒の進展についても実行犯であったと見られている。
非常事態宣言の出されていた時代に光を当てようと奮闘してきた層は、エルゲネコンが明るみに出されたことを、クルド問題解決に対する大きな前進と位置づけている。しかしPKKは、エルゲネコン捜査を別の方向へ持っていこうとしている。オジャラン、そして組織上層部のひとりジェミル・バユックは、行われている捜査について、「クルド人に対して始められた、新たな戦いの概念」と定義している。エルゲネコンとPKKの関係についての一部の人たちの見解は以下のとおりである。

■イブラヒム・ギュチル(オジャランの旧友。クルド系政治家)
オジャランがエルゲネコンについて検察に証言すると発言したことは、PKK側にとってこの事件に新しい局面をもたらした。「エルゲネコンは我々を手駒にしたがっていたが、我々はこのゲームにはのらなかった」と言ったとしても、オジャランの本来の性格を鑑みれば、オジャランがエルゲネコンと活動していたと納得するに十分だ。オジャランの性格と人となりをよく知る者として私が断言できることは、検察に証言する際、オジャランは彼自身の保身と、エルゲネコンと一緒に活動したことを告白しようと考え、計画している、ということだ。

■シェムディン・サクク(一時期、PKKのナンバー2。ディヤルバクル刑務所に服役中)
エルゲネコン捜査において、ゼケリヤ・オズ検察官にあてた手紙に、「改心法と証人保護プログラムの適用を条件に、エルゲネコン組織とテロ組織 PKKの間の関係を説明できる」と書いている。その後、オズ検察官は、ディヤルバクル刑務所に赴いた。面会でサククは、14ページの証言を行った。

■メスト・テク(クルド社会党幹事長)
クルド人が、エルゲネコン訴訟に味方する必要があると考えているクルド知識人と政治家の数は非常に多い。わたしは「味方であるだけでは不十分だ。参加者でなければ」と考えている。
クルド人政治家達が、何千人ものクルド人の心に入り込んだ地下組織の裁判に味方することは、当然の成り行きである。この重要な機会を有効活用して、なされるべきことを実行する人たちは、クルド史の誇れる一面に位置づけられることは間違いないが、正反対にふるまうものは、この振る舞いをクルド史の中で説明することはできないだろう。

■セリム・チュリュッカヤ(オジャランの旧友)
「オジャランの恐れていることは、エルゲネコンの恐れていることである。直近の弁護士との面会は非常に興味深かった。『我々はタンス・チルレルを殺害しますから、責任はあなたがかぶってください』と提案されたが彼はこれを受けなかった、と言っている。ということは、国家的地下組織は殺人の相談をするほどオジャランに近い存在だった。チルレルの件は請け負わなかったそうだが、じゃあ、請け負ったものは何だったのか、なぜ言うことができないのか?きみはエルゲネコンに誰の殺人について依頼をしたのか?誰の殺人についてエルゲネコンが承諾し、誰については承諾しなかったのか?例えばクルド人実業家と知識人の名簿を、きみがタンス(チルレル)女史に与えたということはありませんよね」

■シュクリュ・ギュルムシュ(「ナスナーメ」サイト管理者、元PKK指導部)
1999年にアブドゥッラー・オジャランがイムラル島に拘置された後、30年間の歴史を検証している。30人近い私の友人達と10年間、意見をぶつけあっている。30年間に及ぶ私の戦いについての分析では、エルゲネコンの私服部隊がオジャランとピンポイントで接触していたということだ。オジャランは、制圧できない人たちの殺害をエルゲネコンにやらせたのだ。

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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:14513 )