マシャーイー、ついに辞任か
2008年08月23日付 E'temad-e Melli 紙

アフマディーネジャードという人物は、「大圧力」をかけられない限り、圧力を感じないような人間だ。そして今回の圧力は、中央州への視察が、マシャーイーが大統領に同行する最後の地方視察となるほどの圧力だったようだ。マシャーイーはアーザーディー通りに面した歴史ある文化遺産観光庁の建物を後にし、真新しい「グローバリゼーションと文明間の対話」センターの建物に落ち着くことになるだろう。

 伝えられたところによると、文化遺産観光庁長官は日曜日(8月24日)にも辞表を大統領に提出するとのことである。マシャーイー直筆の辞表には、辞任の理由として、第9政権を攻撃するための口実を封じ、同政権を支援することなどが記されているという。

 マシャーイーはマスウード・ザリーバーファーンやセイエド・メフディー・ハーシェミーと会合をもったことから、2人のうちいずれかがマシャーイーの後任となる見通しが高い。

 候補に挙がっている2人は、文化関連の職歴を有するマシャーイーとは異なり、開発や政治分野での経歴のみを有している。

 ザリーバーファーンがマシャーイーの後任となれば、コルデスターン閥のもう一人のメンバーからマシャーイーの後任が誕生することになる。
〔※アフマディーネジャード大統領はかつて、コルデスターン州知事顧問を務め、同州の北に位置する西アゼルバイジャン州のマークー県やホイ県の県知事を務めたことから、イラン西部地域とのつながりが深い〕

 マシャーイー、ザリーバーファーン、サマレ=ハーシェミー〔大統領顧問〕の3名は、コルデスターン閥のメンバーであり、イスラーム革命当初からアフマディーネジャードと親しい関係を有してきた。彼らは何か話す時はいつも、何かにつけコルデスターンでの思い出を口にしている。
〔※なお、2008年4月にマシャーイーの娘がアフマディーネジャードの息子と結婚するなど、両者の関係は「家族ぐるみ」である。〕

 〔アフマディーネジャードを含めた〕上記4名のうち、マシャーイーが最もコルデスターン在職中のことについて、思い入れが強いようだ。同氏はコルデスターンで、駐イラン大使らを対象にした観光政策に関するセミナーを催し、そこで数分間、自らクルド語でスピーチした経験があるほどだ。

 マシャーイーがコルデスターンにいた頃、先日50歳を過ぎたばかりのマスウード・ザリーバーファーンは〔西アゼルバイジャン州の〕マハーバード市長やマハーバード県副知事、コルデスターン州の開発担当副知事を歴任していた。ザリーバーファーンはテヘラン市議になる前は、被抑圧者財団開発担当副理事代理や石油化学経済特区行政担当副理事などの要職を歴任している。同氏は第2期テヘラン市議会の議員になるや、アフマディーネジャード現大統領の市長選出に尽力し、大統領選挙出馬の際にはアフマディーネジャード選挙事務所の所長を務めた。

 ザリーバーファーンはアフマディーネジャードの大統領就任後、大統領顧問及び内閣書記官となった。ところがテヘラン市議を務めながら内閣に参与する同氏の公職併任に対して、これを問題視する声があちらこちらから上がり、同氏はそれに悩まされることとなる。

 結局ザリーバーファーンは第3期市議会選挙まで併任を続け、選挙直前になって〔市議再選を目指し大統領顧問の職を〕辞したが、第3市議会への再選はかなわなかった

(中略)

 ザリーバーファーンは、イラン国営放送やテヘラン市文化芸術センター等での職歴を有するマシャーイーとは異なり、文化関連の職歴をそれ程有していない。

 ある原理派の新聞は、ザリーバーファーンとのインタビューで同氏についてこのように描写している。「都市開発の修士号を持つ3人の娘の父。自称献身を愛する被抑圧者の味方。常にジャケットをはおり、着飾ってはいるがシンプルな外見を好む。市議会の会議では静かに座っていることが多いが、彼自身の弁によると特別な理由があってそうしているのだそうだ!」。

 セイエド・メフディー・ハーシェミーもまたマシャーイーの有力な後任候補の一人である。同氏はコルデスターン閥の一員でもなければ、アフマディーネジャード大統領の側近というほどでもないが、大統領に最も信頼を置かれている人物の一人である。

 ハーシェミーもこれまで文化の分野で目立った活動は経験しておらず、むしろ行政分野で顔が知られている。同氏は1342年(西暦1963/4年)、テヘランに生まれ、建築の専攻で修士論文を提出しようとしているところだ。

 ハーシェミーはアフマディーネジャードの大統領選出を受け、1384年モルダード月23日(2005年8月14日)、社会福祉相候補として国会に推薦されたが、議員らの反対で実現しなかった

 その後同氏は、内務省の開発事業調整担当次官に任命された。ハーシェミーは1386年デイ月13日(2007年1月3日)に大統領の通達により「予算法補足第13項」実行本部長に任命された。今年のオルディーベヘシュト月28日(5月17日)には、同じく大統領の通達により内相代行に任命された。彼はまた、傷痍軍人(50%)でもある。
〔※この「50%」とは、イラン・イラク戦争で負傷した元軍人に対して認定される身体障害の度合いを表す。この度合いに応じて、与えられる社会保障や優遇措置の程度が決定される〕

(後略)

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( 翻訳者:柴田愛子 )
( 記事ID:14586 )