初等教育8年生の「革命の歴史とアタテュルク主義」という教科書で、9月12日のクーデター、湾岸戦争、2月28日過程といった現代史のテーマも加わった。教科書では2月28日過程に関して「世俗主義に反する言動の増加を受けて国家安全保障評議会は1997年2月28日に政府を警告した」という表現が使用された。9月12日のクーデターに関して「クーデターと体制転換」というような評価をおこなっていない教科書では、アブッドゥラー・オジャランの逮捕も加えられた。
国民教育省は、初等教育の8年生の「革命の歴史とアタテュルク主義」の教科書の7章をトルコ現代史とした。教科書で注意を引くテーマと表現は以下の通り。
5月27日:1950年後半から外国の借款が減り、農業でも凶作の時期が始まったことによって影響力を増した野党に対し、民主党政権は、野党の影響力をそぐように努めた。増加する経済・政治問題は1960年5月27日の軍事クーデターを導いた。(アドナン・メンデレスが処刑されたことに関する表現がないことは注意を引いた。)
3月12日書簡:1961年憲法によって新しい時代に入ったトルコで、政治的・社会的・経済的な問題の解決をもたらさない政治家達の足の引っ張り合いは、社会的な緊張を増した。この状況により、トルコ国軍は1971年に国内での衝突を終結させるために政府に書簡を送った。
9月12日:(スレイマン・)デミレル政権は、首相府事務次官兼国家計画機構事務次官補のトゥルグト・オザルが準備した経済安定プログラムを1980年1月24日に実施した。しかし計画の実施は、国内問題の解決にはならなかったと同時に、緊張の原因となった。1980年9月12日になるとトルコ国軍は暫時政権を掌握し、トルコ全土で戒厳令が出された。
2月28日:1996年に福祉党と正道党の連立政権が設けられた。世俗主義に反する言動の増加を受けて国家安全保障評議会は1997年2月28日に政府を警告した。
オジャランの逮捕:1990年代の最も重要な出来事の一つが、シリアに潜伏していた分離主義組織のリーダーが1999年にケニアで捕まり、トルコに送還されたことである。
宣教活動:宣教活動(の箇所)では単に宗教家だけでなく、宗教家でない人々にも(その表現が)使われている。(この問題を説明する際の説明書きで、「宣教活動は、他の宗教を信仰している人々を自分たちの宗教に入らせて、国内の民族的・文化的価値を排除し、国の一体性を壊すための活動である」という表現が使われた。)
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( 翻訳者:新井慧 )
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