Gunduz Vassaf コラム:宗教、民族、若者そして未来
2008年09月21日付 Radikal 紙

わずか100年前には知識人あるいは進歩主義者であることは、ナショナリストであることを意味していた。
ナショナリズム運動がオスマン帝国を崩壊させた。ギリシャやブルガリアを、ほとんどアルメニアとクルドを、そしてついにはトルコを誕生させたのは、知識人や進歩主義者、詩人、作家たちが主唱したナショナリズム運動であった。ナショナリズムは100年も経たずに民族浄化やレイシズム、ファシズムとともに言及されるようになった。今や詩人、作家、知識人、進歩主義者たちはといえばナショナリストの標的となり犠牲者となっている。

20世紀初頭にもてはやされた運動は、100年もたたないうちに失墜した。我々の傍では欧州連合が設立され、国境が開放されたことで、ナショナリズムが国家政策として取り入れられることはなくなった。国々の衝突から我々が思い浮かべるのは、2度の世界大戦の惨禍に見舞われた欧州人であるが、その欧州人は今日、ナショナリズム運動から解放され、国家間での平和の確立がもたらした安寧のなかにある。しかし、かつて血の海と化した欧州を蛮行から救ったのは、ナショナリズム運動だったのだ。

キリスト教徒の宗派間で何世紀も続いていた宗教戦争は、国民国家に宗教へのヘゲモニーを握らせることになった(1648年)ウェストファリア条約によって歴史から払拭された。その後の200年は国民国家が宗教、特にカトリック教会に対して強大となっていったので、パリでの戴冠式で教皇を近くに呼び寄せたナポレオンは、自身が侮辱した教皇が驚きの眼差しを向ける中、すべての伝統を踏みにじり自らの手で戴冠したのだった。

今日では何が起きているのだろうか?

先週パリで会談をもったフランスの首相と教皇は、数世紀を隔てて国家と宗教が再度接近する必要があるというメッセージを出した。国民国家が強大だった時代に勢力を失った宗教は、国民国家が競りにかけられ、政府が傀儡化した今日において、再度歴史の舞台に現れた。宗教的な体制は、歴史上も今日でも、もう一つの世界(あの世)の代理としてすべて恐怖帝国へと変貌した。国民国家はわれわれがこの世の人間であることを否定する方へと姿を変えた。今後の歴史において活躍することになる、国民的、宗教的帰属から解放された新しい世代は、固有の文化とライフスタイルを持ちながら我々の前にいる。我々はといえば、昔ながらの争いにおいて、横並びになっているがために、先を読めないでいる。

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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:14747 )