エジプト:外国人観光客集団拉致事件
2008年09月30日付 al-Quds al-Arabi 紙
■ スーダン:誘拐犯らは逃亡した。カイロ:その半数の粛清を確認
■ エジプト人並びに外国人観光客解放につき、錯綜する情報
2008年09月30日付クドゥス・アラビー紙(イギリス)HP1面
【カイロ:ムハンマド・アブドッラー、アシュラフ・バドル(本紙)】
昨日(9月29日)、エジプト特殊部隊は、10日前国境地帯で武装グループに拉致されたヨーロッパ人観光客11名とエジプト人8名を救出した。カイロ東の軍用空港に到着した拉致被害者達の健康状態は良好な模様である。
エジプトのメディアによれば、人質は救出作戦により解放された。しかしスーダン側は、日曜(9月28日)、スーダン軍に仲間の6名を殺害され2名を拘束された誘拐犯たちが、人質を諦め放置したのだと主張する。
ドイツ・イタリア国籍がそれぞれ5名、ルーマニア国籍1名から成る観光客グループは、解放されたエジプト人たちとエジプト特殊部隊要員らと共に軍用機でカイロに到着した。特殊部隊は人質解放作戦に参加したと報道関係者に述べた。
「シャルクルアウサト」通信によれば、ムハンマド・フサイン・タンターウィー・エジプト防衛相は、昨日月曜、エジプト・スーダン国境地帯で拉致犯グループの半数を粛清したとムバーラク大統領に報告している。
また複数のエジプト治安関係筋が、拉致犯グループは35名に及び、殺害された者の遺体並びに逮捕者達の身柄はスーダン当局の元にあると述べた。ドイツ、イタリア、ルーマニアの情報部員が作戦現場に居り、人質救出にはスーダン軍とスーダン情報部の要員も参加たと述べた筋もある。それによれば、エジプト軍は犯人グループから身を隠して接近し明け方6時に襲撃、エジプト軍、警察、公安要員ら総勢150名が作戦に参加した。一方イタリア通信が伝えるイタリア外相の声明によれば、イタリア特殊部隊も人質解放には参加している。
「シャルクルアウサト」通信が伝えるエジプト公式筋の話によれば、人質解放にあたり身代金の支払いは行われなかった。エジプト政府報道官もこれを肯定し、スーダンとの協調により解放が成された事を確認した。エジプト政府並びに多くの分析評論家が、この誘拐事件の動機に政治的背景は見られなかったとしている。
他方、スーダン側は人質解放につき異なるストーリーを主張している。スーダン外務省儀典局長アリー・ユースフによれば、日曜に逮捕された2名により、誘拐犯グループがエジプトへ向かう事が判明、スーダン軍が国境近くで包囲しようとしたところ、彼らは人質を捨てた。救出作戦が行われる前に人質達は、自発的に国境を越えてエジプト側に達していた。
拉致被害者らがカイロ東の軍用空港に到達した時には、エジプト軍将校らと政府関係者、外交官たちが出迎え、花束が贈られた。解放された人々はヘリコプター2機でメディカルチェックのため移送された。
エジプト側は、10日前国境地帯を旅行中の外国人観光客と彼らのガイド並びに運転手が、覆面の武装グループ4名に拉致されスーダンへ連れて行かれたと述べていた。
スーダン軍によれば、日曜、、リビア・エジプトとの国境地帯での戦闘の結果、拉致犯首謀者他5名を殺害した、しかし人質達はチャドで武装グループ30名の監視下にあった。そして治安関係者によれば、拉致犯は
600万ユーロ(878万ドル)の身代金を要求しており、観光産業が国内総生産の6%以上を占めるエジプトにとって深刻な事態となった。
拉致事件が発生した現場近くには1万年前のものと言われる壁画を有する洞窟があり、四駆を使えば、西スーダン、ダール・フールの戦闘地あるいは東チャド経由で訪れることが可能である。
スーダンは、ダール・フールで抵抗を続けるスーダン解放軍に属するグループの反抗であると述べていたが、この名称で活動する抵抗グループは多数あり、責任の所在は特定されなかった。
月曜、ンジャメーナ(チャド首都)は、9月19日にエジプトで拘束された外国人11名とエジプト人8名の解放作戦は、その領土内で起きたのではないことを明らかにした。チャド政府報道官がFP通信に述べたところによれば、「チャドでは何も起きておらず、この事件に何らかかわりがない。我々は何も見ておらず、報道を通じて全てを追っていただけである。我々を憎悪の対象にしてどうしようというのか」。
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:14809 )