もうたくさん、おしまいにしてくれ:戦死者の遺族の声
2008年10月06日付 Radikal 紙
戦死者を(各地で)何十万もが見送った。とても傷ついた父親は凡そ20年以上繰り返されている質問を大臣にした。「これは何度目の攻撃で、なぜ他の措置を講じないのか。」
アクチュチュンでの戦死者を埋葬するとき、みなテロがいつ終るのかを問い続けた。戦死者ハサン・オネルのエスキシェヒルでの葬式にギュル大統領、ハサン・アイギョルのクルッカレでの葬式にエルドアン首相が参列した。ダゥット・イルバシュのスィイルトでの葬式で「トルコ人とクルド人は兄弟である」というスローガンが掲げられた。ハリル・イブラヒム・アルルクのためにデニズリでは、4万人が集まった。
■ お父さんを戻して
ラマザン・イェシルの葬式で、何万もの葬列者が(アンタリヤ県の)セリキを旗の海に変えた。イルハン・キュチュクソラクをゲベゼで2万人、ジャヒト・ユルドゥルムをエルズルムで3万人が見送った。ユルドゥルムの娘は、「お父さんを戻して」と述べた。父親は、大臣に尋ねた。「これは何回目なのか。なぜ措置が講じられないのか。」ムハメット・アイデミルはアルトヴィンで、エゲメ・ユルドゥズはイズミルで、オザン・オヌル・イルゲンはアダナで埋葬された。
■ クルド語の葬送歌
オスマニイェでセルチュク・ジャンの妊娠2ヶ月の妻は、「私も埋めてください」と泣いた。ラシム・エセルのためシリフケで実母のイスリムとおじさんの妻であり育ての母のウミュハン・エセルはともに涙を流した。ハック・アランは、ディヤルバクルで最後の旅路を見送られた。国のいたるところで大きくなる泣き声は同じ願いである。「もう終ってくれ。」
この記事の原文はこちら
( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:14849 )