コラム:シリア・レバノン外交関係樹立について
2008年10月15日付 al-Quds al-Arabi 紙
■ シリア外交とその意外性
■ クドゥスの見方
2008年10月15日付クドゥス・アラビー紙(イギリス)HPコラム面
シリアのバッシャール・アル=アサド大統領がレバノンとの外交関係樹立を定めたのは、特に意外ではない。数週間前、スライマーン・レバノン大統領がダマスカスを訪問した際、既に合意に達していた事である。しかし、その周知の仕方、タイミングは意外であった。その公布は、レバノン大統領がサウディアラビアを訪問し、政府要人、特にアブドゥッラー・ビン・アブドゥルアジーズ国王と会見する時機を見計らって行われた。
シリア首脳部は、種々の決定事項を自分達の目的に適うよう援用する技に長けている。あるいは、敵と味方にメッセージを伝え、最終的には政治外交で最大の利益を達成する、そのような技に抜きん出ている。
諸々の要因によりシリア・サウディ関係は緊張をはらみ破局寸前であったが、原因の最たるものは、レバノン問題に関する両国の見解の相違であった。二国は、レバノンにおける勢力範囲を巡り激しく争っていた。この隣国に強力な政治的治安的プレゼンスを求めるシリアは、「ヒズブッラー」とミシェル・アウンの自由国民潮流に代表される反政府勢力に加え、トリポリに点在するスンニー派勢力、山岳地帯のドルーズ(アルスラーン派)を支援し、サウディの方は、スンニー、キリスト教徒、ドルーズから様々な勢力を含む3月14日勢力を押している。
エミール・ラホード前レバノン大統領の任期終了に伴う憲法的空白期間中、シリア・サウディ間の競争は益々熾烈となった。サウディ側は、内戦の危機に陥ったレバノンで、シリア政府が政治的和解を妨げ大統領選を阻んでいるとの疑いを強くしていた。しかし、シリア・イランの支持を得たドーハ合意で、多数派の譲歩により、緊張緩和、内戦回避が実現し、レバノンの各派はスライマーン大統領の選出と連立政府形成に合意した。
しかし、レバノン危機を原因としてその頂点に達したシリア・サウディ関係の危うさは消え去ったわけではない。
その危険性は、メディア合戦と政治的分極化の形でレバノン情勢に如実に反映されている。そういった側面が明白に表れたのが最近のトリポリにおける紛争で、これは、レバノンのシリア派によれば、サウディに支援されたサラフィー系グループと、シリアが公然と支援するアラウィー派の争いである。
シリア政府は、国際的孤立を打破すべく、巧妙にレバノンン・カードを用いてフランスのような大国を引き入れ、合衆国との関係における緊張を軽減した。そして、ダマスカスを訪れシリアとの関係を強く印象付けたサルコジ仏大統領に報いるべく、レバノンとの外交関係樹立、在ベイルート大使館開設を定めたのである。
シリア・レバノン関係は、様々な意見の相違から成る深い溝を埋めるべく、歴史的な一歩を踏み出した。多くのレバノン人が持っているシリアに対する疑念、レバノンをその領土の延長として併合し、独特の文化と多元的民主制を有する独立国としての存在を禁じるのではないかという疑念には終止符が打たれるであろう。
レバノンとの外交関係樹立と共に、シリアがもう一つ別の政令を定めたのは偶然ではない。それは、およそ20年の断絶後初めて、バグダードに大使館を開設し大使を派遣するという決定である。シリア政府は、その安定を脅かす二大拠点、レバノンとイラクという障害を取り除こうとしている。アメリカが言うところの「悪の枢軸」から徐々に脱出し、囲みを破るため更なる時間を稼ぎたいという希望に水を差すのは、全てその二国に由来する問題である。従って、フランス、合衆国はじめ欧米各国は、シリアがとったこの二つの措置にはっきりと歓迎の意を示している。
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:14904 )