Ataol Behramoğlu コラム:訪問中の東京より
2008年11月02日付 Cumhuriyet 紙
遅くとも金曜の昼までに送らなくてはならない土曜日のコラムを、通常私は木曜日に書いている。金曜日まで残しているのは非常に珍しい。今回の金曜はといえば、午前にしかもリラックスして書いている…。というのも、トルコでは今頃は真夜中であることを知っているので気楽なのである…。国際東京ポエトリー・フェスティバルの招待客としてやってきた日本は、トルコより7時間進んでいる。単に時間の点だけからだけだろうか?これは全く別の問題である。
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日本の文学、芸術、文化そして人々をあまりに知らなかったということを、ここに来てさらによく判った。この不足を埋める必要があると感じた。
日本が重要な国であることは皆が知っている。しかし、この非常に異なる国を、日本に関する何らかの問題の専門家以外、どれほど知っているのかは疑わしい。
日常生活ですぐ目につくことは、諸外国での好奇心旺盛な日本人観光客の姿とは無縁の、穏やかで信頼でき、内省的で、飾り気はないが非常にきちんとした身なりの、信じられないくらい丁寧な人々の集団である。初めて訪れた日本をこの点で非常に好ましく思ったといえる。
我々(社会)の混沌とした様、またトルコの人々の間にある無音か騒々しさ(という両極)、しかし常に緊張を強いられる闘いのような雰囲気を後にして、1億2千万人の日本の[総人口のうち]1千3百万近くの人口を擁する、この最も過密な都市で(首都東京において)、信じられないほどの快適さと心の安らぎを感じた。
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12時間の飛行を経て到着した日にその足で、在日本トルコ大使のセルメト・アタジャンル氏により、トルコを発つ前に電子メールで送られてきた丁寧な招待によって、大使館での共和国記念日のレセプションに出席した。サロンや中庭は来賓の人々で溢れかえっていた。トルコに関係のある歴史家、新聞記者、芸術家、作家、またその他職業の多くの日本の知識人と立ったまま挨拶を交わした。我が国へのこうした関心が私を驚かせなかったと言えば嘘になるだろう。しかし、我が国はこの関心に全く気付かず、日本を評価することもできない。またしても全く別の問題である…。
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二日間にわたる東京ポエトリー・フェスティバルは、今夕の開会レセプションで始まる。私はフェスティバルの一環で自分の詩を日曜日に読む予定である。これとは別に11月3、4日の夜に私だけのために用意されたさらに2つのプログラムがある。
日本におけるトルコ文化大使と呼び得る、若い友人のイナン・オネルさんが主宰する最初のプログラムの聴衆は、大多数が日本在住のトルコ人になる見込みである(アンカラ大学言語歴史地理学部、日本語・日本文学専攻を卒業し、ここで博士課程または修士課程の研究に従事している非常に貴重な若者たちと知り合った。彼らは今後、我が国と日本の文化的な場でその存在を伝えることとなろう。この専攻科の成功を特にお祝いします)。
第二のプログラムは、日本の第一線の詩人たち、およびフェスティバルの運営者の一人である新井高子さんが企画された。そこでは多くが日本の聴衆になる予定である。
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昨日と今日(記事を書き始める前に)インターネットで我国の新聞に目を通した。いつものように悲しく気が滅入る、うんざりさせられ不安を与えるようなニュースを今は考えないことにする…。そうしたニュースはそもそも日常生活から全く減らなかったし、今後も減ることはないだろうから。
(中略)
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ネガティブなニュースは話題にしないと述べたが、再度その約束を破ってしまうことになる。東京のトルコ大使館の建物が共和国記念日を祝う外国人で一杯に溢れた一方、(肝心のトルコでは)ある同胞たちは共和国への敵対行為をもはや隠そうともしていない…。
我が国の芸術家、他の多くの人物や組織は、身寄りのない子どもたちを守るために尽力する一方で、法医学協会は14歳の子どもに関しナチ時代の医者たちを彷彿とさせるような質の報告書を作成しているのである。
遠い異国からは自国における矛盾、終わりなき恥ずべき諸悪がより明白に見受けられる…。
☆関連情報
詩人アタオル・ベフラモール来日記念イベント「詩を読む、生を語る」
http://www.mogra.net/inans/
東京ポエトリー・フェスティバル2008
http://www.tokyopoetry.net/
この記事の原文はこちら
( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:15040 )