国内外各地で黙祷、ドルマバフチェ宮殿では涙 -アタテュルク逝去から70年
2008年11月11日付 Zaman 紙

トルコ共和国創設者ムスタファ・ケマル・アタテュルク逝去から70年目となり、国内外各地で追悼の式典が催された。9時5分になると全国でサイレンが鳴り、乗車中の人々は車から降り、歩行者は立ち止まって黙祷をささげた。ドルマバフチェ宮殿内にある偉大な指導者が亡くなった部屋で行われた式典でも、兵士たちの涙が皆の涙を誘った。
11月10日ということで、最初の式典はアタテュルク廟で行われた。アブドゥッラー・ギュル大統領をはじめとして、政府高官がアタテュルク廟を訪れ、アタテュルクの墓に献花し、黙祷をささげた。アタテュルクの、文字通りの永眠の地にはその後多くの国民が敬愛を示しながら押し寄せた。全国からやって来た何千もの国民が偉大な指導者ムスタファ・ケマル・アタテュルクの廟を訪れ、忠誠を示した。手にトルコ国旗を持ってアタテュルク廟を訪れた者の中には、アタテュルクの廟前で冥福を祈ったり、廟にキスをしたり、「軍隊式の敬礼」で敬意を示す人もいた。赤と白のカーネーションを持ってアタテュルクの廟前に献花した訪問者の中にも涙を抑えることができない人もいた。アタテュルクが亡くなったドルマバフチェ宮殿内の部屋で行われた式典でも、哨兵とともに国民も涙を抑えきることができなかった。9時5分のサイレンとともに黙祷で始まった追悼式典では、トルコ共和国国歌が流された。このとき、トルコ国旗で覆われたアタテュルクのベッドの両脇に立っていた哨兵の、泣いている姿が見られた。トルコ大国民議会のミラル・アクシェネル副議長は「青の間」で記帳した。式典に出席したアタテュルクの養女であったウルク・アダペテさんは、ドルマバフチェ宮殿へはいつ来ても、来るたびに違った感慨を抱くこと、子供時代をすごした回廊が多くのことを思い出させてくれると語った。それは時にはうれしく、悲しく、また苦い思い出であると述べたアダテペさんは、以下のように話している。「アタテュルクは死んでいないし、これからも死ぬことはない。彼は私たちの心の中に生きているのです。国民を愛し、若者を愛したアタテュルク。彼はいつもそばにいます」

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( 翻訳者:大田垣綾子 )
( 記事ID:15102 )