最後のガーズィ、独立メダル保持者のムスタファ・シェキプ・ビルギョル大佐は、トルコに相応しい形で、彼の功労に値すべく、最後の旅路へと送り出された。
ビルギョル氏のために、昨日イスタンブルの第一軍司令部で国葬が営まれた。花々で飾られ、トルコ国旗に包まれた遺体は、儀式の後、まず肩に担がれ、それから砲車で最後の安息の場、カラジャアフメト墓地に運ばれた。そしてそこで祖国の土へかえり、トルコ国民の心に刻まれた。
祖国解放戦争の最後のガーズィ、退役大佐ムスタファ・シェキプ・ビルギョルは、アンカラに続いて昨日はイスタンブルで、何百人もが参列した国葬で最後の旅路へと送られた。トルコは、この最後のガーズィを、軍人から民間人、政治家から労働者、教師から学生、7歳から70歳までと(国民)一体となって見送った。ビルギョルのために、昨日、国旗で飾られた第一軍司令部で国葬が営まれた。花々で飾られトルコ国旗に包まれたビルギョルの遺体は、(イスタンブルのアジア側の)セリミイェ兵舎にある、アタテュルクの胸像の前に置かれた柩台に据えられた。
■ 独立戦争部隊が警備
胸像の後方には、上部に「最後のガーズィ」と書かれたビルギョル大佐の大きな遺影が飾られた。遺体の許には、解放戦争時代の軍服と装備品を身に付けた独立戦争部隊が警備についた。最後のガーズィの妻、アイシェ・ビルギョル、娘のイペキ・トゥライ・アルトゥンチ、女婿のベキル・スアト・アルトゥンチ、孫娘のイペキ・トケル、甥のムラト・トケルが参列した儀式には、トルコ大国民議会(TBMM)議長キョクサル・トプタン、首相代理ハヤティ・ヤズジュ、参謀総長イルケル・バシュブー大将と軍の諸司令官、イスタンブル県知事ムアッメル・ギュレル、イスタンブル共和国検察長官アイクト・ジェンギズ・エンギン、イスタンブル県警本部長のジェラレッティン・ジェッラーフ、前および元参謀総長で退役大将であるヤシャル・ブュユクアヌトとヒュセイン・クヴルクオール、多数の軍人、トルコ戦士協会のメンバー、そして周辺の諸学校から来た学生らと、ボーイ/ガールスカウトのグループが参加した。
■ 我々は最後の猛り狂うトルコ人を見送った
儀式では、『トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争』という本の著者、トゥルグト・オザクマンが「我々は最後の猛り狂うトルコ人を、永遠へと見送る」と話し、TBMM議長キョクサル・トプタンは、「詩人の言うように、すべてのムスタファ・ケマルたちが永遠であるのと同じ様に、猛り狂うトルコ人もまた永遠である」と述べた。トルコ国軍の名において語った参謀本部総務部長ライフ・アクバシュ中将は、オメル・ベドレッティン・ウシャクルの「エーゲ海に向かって」という題の詩の一部をよんだ。セリミイェ・モスクで正午、イスタンブルの宗務官、ムスタファ・チャールジュ教授が執り行った葬儀礼拝の後、ビルギョルの亡骸は、カラジャアフメト墓地で土に埋められた。
■ 棺の旗は、妻に渡される
儀式には、最後のガーズィがその葬儀に参列するよう遺言していた甥のムラト・トケルが、オーストリアから駆けつけ参列した。父親が土に埋葬される最中、娘のイペキ・アルトゥンチは泣いた。ビルギョルの身体が土に埋められる際、3回弔砲が放たれた。儀式の後、第23歩兵師団司令官ビュレント・ダーサル少将が、ガーズィの棺に被せられたトルコ国旗にキスして、妻のアイシェ・ビルギョルに渡した。妻のアイシェ・ビルギョルはそれにキスして受けとった。
■ アイドゥン・ドアンも儀式にいた
第一軍司令部で最後のガーズィ、ムスタファ・シェキプ・ビルギョルのために営まれた国葬には、民族主義者行動党(MHP)副党首のオクタイ・ヴラル、ドアン・ホールディング代表取締役社長のアイドゥン・ドアン、取締役のタイラン・ビルゲル、社長顧問のヴォルカン・ヴラル、そしてヒュッリイェト紙総編集長のエルトゥールル・オズキョクも参列した。
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( 翻訳者:林奈緖子 )
( 記事ID:15131 )