ドイツ語作家セヴギ・オズデミル著『金角湾の橋』
2008年11月14日付 Radikal 紙

セヴギ・オズデミルはこの度トルコ語に翻訳された著作『金角湾の橋』で、反骨精神をもつ若い女性の物語を描いている。彼女自身の個性的な性格と経験を色濃く反映させた著書をいくつも書いていることで、ドイツでは人気ある作家のひとりである。1975年に演劇を学ぶためドイツに渡り、ブレヒトの設立したベルリナー・アンサンブルに参加。今日まで数多くのドイツ映画、舞台で活躍する女優でもある。ドイツだけではなく、数年来パリーベルリン間を往復して暮らし、パリでも舞台に立つ。初期のころより文筆活動を行い、脚本や小説も書いている。それもドイツ語でだ。ウズダマルは母語ではない言葉で大作家の仲間入りを果たしえた、文学史上希代の作家のひとりだ。インゲボルグ・バッハマン賞、ウォルター・ハーゼンクレーヴァー賞、ハインリヒ フォン・クライスト賞などを受賞し、イギリス、アメリカでも年間優秀作品に選ばれている。

今までトルコでは、彼女の小説のなかで『人生はキャラバンサライ』だけを読むことができた。そしてこの度、『金角湾の橋』がトルコ語に翻訳されたわけである。

『金角湾の橋』の主人公の若い女性は、その時代すなわち60年代のあらゆる出来事と反抗心を一身に集約しているかのようだ。演劇への情熱ゆえにイスタンブルの高校を退学して、ドイツに向かう労働者のなかに紛れ込む。「一年働いたら、演劇の学校に行こう」と思い、テレフンケン(訳者注:1903年に設立されたドイツの無線とテレビの会社)の工場ではルーペをつけて電線を結んでいる。こうしたトルコ人の女たちは女子寮で暮らし、みな一年で帰国するつもりで、彼女たち一人一人がそれぞれの物語の主人公である。彼女たちは時が経つにつれて、ドイツや、身の回りのことに興味を持ち始める。はじめは最寄り駅の駅舎まで歩くつもりだったのが、そのあとドアが開くたびに外にタバコの煙が流れ出るトルコ労働者組合へ、友人の家、そしてダンス・パーティにまで足をのばすことになる...。(以下略)

■インタヴュー
――あなたの作品について話しましょう。『人生はキャラバンサライ』では、子どもの目を通して語られています。『金角湾の橋』では少女の視点からです。この二つの作品の間に時間的なつながりがありますよね。

はい、あります、でも別々にも読めます。

――わたしは二つの作品の重要な違いは「言葉」だと思うのです。小説の言葉をどのように生み出しているのですか?

『人生はキャラバンサライ』と『金角湾の橋』を一冊にしたいと思っていました。私は3冊の本を書くつもりだと言っていました、あるいは3つの時代を描くことになると。3つとも「伝説となった時代」についてです。つまり、たとえば壁があったころのベルリンとか、かつての68年のこと、50年代のまだ重苦しいテンポで進んでいた世界についてとか。わたしは最初『金角湾の橋』と『人生はキャラバンサライ』を一冊にするつもりだったのです。そのためのメモも準備しました。でも、『人生はキャラバンサライ』の終盤にくると、それは不可能だと悟ったのです。「ここで区切る必要がある」と言いました。

なぜなら、同じ言葉で、この子供っぽい言葉で語り続けることはできませんから。子供の頃というのは、魔法の世界があります。たとえばあるところにいるとして、いくつかの部屋から一人ずつやって来る、そしてそのやって来る人々を見上げる。こんな表現を若い女性の語りに使うことはできませんでした。なぜなら、若いなりに責任を背負っているのに、こんな言葉はコミカルなものになりかねませんので。やはりドイツでこれを気に入ってくれた批評家がいました。そのうちの一人は、登場人物の成長を言葉で示している、この小説は「言葉の成長の物語だ」と書いてくれましたよ。(以下略)

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( 翻訳者:塚田真裕 )
( 記事ID:15140 )