アレヴィー派の国会議員レハ・チャムルオール:このような方法では対話は築けない
2008年11月17日付 Radikal 紙

公正発展党(AKP)の国会議員レハ・チャムルオール氏は、アレヴィー派の中の著名人の一人である。氏は、その政治選択によって、ある人々の辛らつな批判にあった。今年の年明けには、AKPによる「アレヴィー問題解禁」の先駆者となった。しかし、その「解禁」後には何も残らなかった。チャムルオール議員と「アレヴィー問題解禁」の今後の行方、アレヴィー派の間で繰り返される議論について話し合った。

オラル・チャルシュラル記者(以下、記者):2008年1月11日に、首相も参席した、「アレヴィー信徒との夕食会」(*注1)と表現され得る会合を催しましたよね。この会合で、あなたは大変希望的な発表を行いました。あれから11ヶ月の間、あの会合での成果は果たしてどうなりましたか、また会合後、何が起こりましたか?

レハ・チャムルオール議員(以下、議員):私たちは、アレヴィー派の問題を公の社会問題として取り上げたかったのです。そして話題となりました。トルコは何ヶ月もの間、アレヴィー問題について議論しました。あらゆる観点から見解が明らかにされ、共有されました。これは、大変進歩的な過程でした。トルコではもう既にアレヴィー派という一連の集団がいること、彼らが問題を抱えていること、そしてこれらの問題が解決されるべきである、という点が議論の基礎となりました。

記者:公の社会問題に上らせるという観点においてですか?

議員:結果がどうであれ、とても重要な過程を開始させたと考えています。これらの問題はトルコから切り離せません。我々の首相に、このアレヴィー問題解禁において大きな圧力が掛かりました。その後からは、スカーフ問題のため憲法改正騒動が圧し掛かりました。その後には解党訴訟が。またその後からは、エルゲネコン捜査が暴露されました。さらにその後、次々とテロに関する事件が起こり始めました。トルコはこのような問題発生に見舞われました。この過程において、特にアレヴィー派の問題がこの上に積み重なること、公の社会問題になることは、非常に多くのリスクがありました。政治的リスクもありましたし、また首相にとってもこの面での努力は不可能でした。

記者:あなたの悲観的な発表もありましたが…

議員:その点について、首相諮問役職から私が辞任したことは、その間の動向の一部です。私からすると、もっとなされるべきことがありましたし、これに従事する人員があったはずです、AKPの中には。しかし、首相は総じて全ての問題をご自身密接に目を通すことを望みます。[この問題で]首相のこのような努力はありませんでした。私は、この過程において党、政府がアレヴィー問題に無関心であると考えました。今現在でもこのように考えています。

記者:政府はこの10ヶ月の間、何をすべきだったのでしょうか?

議員:例えば2009年度予算案から宗教活動のために幾分か予算を割くことが出来たはずです。文化省の裁量にこうした予算を授けることはできます。クシャダス自治体(*注2)がジェムエヴィ(集会場)問題で行ったような、良き先駆的措置となるはずでした。後々にまで影響する出発点となるはずでした。[国家による]予算への計上は、自治体の決定とは比べものにはなりません。

記者:宗教活動というと、それはアレヴィー派のそれについて言及しているのでしょうか?

議員:私は、アレヴィー派の文化活動とは一言も言っていません。宗教的な文化活動のため、予算を割くのです。この計画は基本的に関連する宗教コミュニティーや団体に予算を割くことです。しかし、これには当然のことながらアレヴィー派も含まれます。このため、重要な予算対象のひとつはアレヴィー派になるでしょう。これはよい試みとなったはずです。

記者:宗務庁がアレヴィー派に向けた批判されるべきいかなる意見がありましたか?

議員:二人の責任者の口から、「ジェムエヴィは礼拝所とならない」と声明がありました。一人はバルダクオール宗務庁長官、もう一人はイスタンブル宗務局長であるチャールジュ氏です。この声明は彼ら個人の信仰に応じた発言かもしれません。けれども彼らは、同時に公職に就いているのであり、公職者そして国家の名のもとに声明をしたことになるのです。数千の、数十万もの人々が「ここは礼拝所である」と言えば、そこは礼拝所です。民主的な国家において、あなたはこれを議論することは出来ません。このことを言った瞬間、問題は終了したことになるのです。

国会の総会で最近の話題とならない、以下のような発言を行いました。気に入ろうと、気に入るまいと、あなた方の信仰に沿おうと、沿うまいと、ジェムエヴィは礼拝所です。世界の全ての場所で民主的な政権、民主的な政府は、この種の要請を聞き入れる必要があります。我々はイスラム教徒(ムスリム)なのです。このことを特に強調します。しかし、我々のムスリム理解と、皆様の理解とには、とても根本的な差異があります。そのため去年、この[対話形成の]過程において我々アレヴィー派にとり大変重要な機会を逃してしまったと考えています。政府はこれらの機会を利用するべきだったのです。しかし、できませんでした。私はAKPの議会内会派をよく知っています。この会派の大多数が、このことで私が述べることにとても積極的な支持を与えたと考えています。

記者:ジェムエヴィを礼拝所だと述べましたが、それはクシャダス自治体のようにですか?

議員:あそこでも、問題が多少残っています。自治体の議会ではこの問題と関わる発言が出来ますが、国会でこうした発言を明らかにしたとき、いくつかの問題が生じます。私は発言で、共和人民党(CHP)に一つ質問をしました。国会の総会で行った発言で、以下のように;党として、CHPはジェムエヴィを礼拝所として認めるか、認めないか?会派代表代理のケマル・アナドル議員は、「認める」と答えました。これは大変重要な表明です。なぜなら、スカーフ問題で達することの出来ない合意が、ここでは見つけることが出来るのです。この問題にとって合意は、条件によるのです。民族主義者行動党(MHP)とCHPと民主市民党(DTP)との合意は条件なのです。どうして条件なのか?なぜなら私たちは、微細で先鋭な法的問題の上を行ったり来たりしているからです。1925年のテッケ・ザーヴィイェ法[宗教教団の修道場の閉鎖]があります。なぜかというと、[現行法に照らし合わせるとジェムエヴィに関わる]発言も言ってみれば、いとも簡単に反世俗の試みとして捉えられ得るものだからです。アレヴィー派の著者の幾人、私たちの問題解決に反対するアレヴィー派の著者たちが、このように書き、主張しました。

記者:テッケとザーヴィイェの閉鎖に対しある考えが浮上していると言いたいのですか?

議員:もちろんです。例えば、ルザー・ゼルユット氏が出てきてこのように言いました;「私たちに問題の認可が与えられれば、ナクシュバンディー教団の人たちも、カーディリー教団の人たちも求めるだろう。我々は世俗主義を求めている。他には何も要らない」と…。
「AKPはこの問題の解禁を行うとき、ただレハ・チャムルオールと彼が指名した人々と、アレヴィー派の意見の代表者として関係を築いた。何年もの間、我々は政府と与党の指導者たちとこの問題で接触を図ろうとした。しかし、全く反応を得られなかった」と述べています。

組織であれと個人であれ、関係を築きたければ、自分の行動に気を付けることが必要です。[ヒュッリイェト紙の記者]エミン・チョラシャン氏は政府と対話しようとしますか?いいえ。しかし、これらの人物は政府について述べるとき、エミン・チョラシャン氏のように語りますが、全員対話をしたがっているのです…。親しみのもてる態度ではありません。私がAKPから国会議員候補になったとき、彼らが私にしたメディアでの攻撃をひとつ思い出してみて下さい。自分が攻撃をした人と対話を築くのは、とても難しいことです。なんと言われたことでしょう、気まぐれ者、お騒がせ者、裏切り者、変節したアレヴィー、アレヴィー派の物乞い…。これにも関わらず、我々は対話を築きたいと国会の演壇から発言しました。
(後略)

(注1)関連記事http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20080113_152634.html
(注2)クシャダス自治体の議会は、票決により、2008年9月3日にジェムエヴィを礼拝場と認め、そこでの水の使用に関し、他の礼拝所と同じ扱いにすることを決定した。

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( 翻訳者:西山愛実 )
( 記事ID:15143 )