アハラーム紙社主によるコラム、イスラエルのガザ虐殺を非難、エジプト批判に反論
2008年12月31日付 Al-Ahram 紙

■今週の談話:虐殺―政治と狼藉のあいだ

2008年12月31日付アル・アハラーム紙(エジプト)HP1面

【ムルシー・アタッラー本紙社主】

 先週土曜日からイスラエルがガザ地区に対して行っていることを、もしもアラブ諸国やイスラーム諸国が行ったとしたら、アメリカは黙っているだろうか。国際社会は口を閉ざしているだろうか。世界のメディアは傍観者の立場をとるだろうか。そう、私たちが今まさに偽善と偏見、そして良心の欠如を目の当たりにしているように。

 私たちが生きているのは何という時代だろう。私たちが属しているのは何という世界であろうか。これが信頼できる原則を備えた法体系なのか。市民や民間の施設に対する恐ろしい過剰な武力の行使を目の当たりにしている今、自問せずにはいられない。これは占領した国家とその支配下におかれた市民との関係を定めたジュネーヴ条約に、明確に違反している。

 イスラエルの言い分に世界が耳を貸すこの時代とは、いったい何なのだろう。重武装したこのヘブライ国家が数発の地元製のロケット弾の発射という危機にさらされていると主張している。〔ロケット攻撃は〕占領に対する正当な抵抗権の名の下に行われており、またそれはイスラエルがのらりくらりして和平努力に真剣に応じようとせず、パレスチナ人に正当な権利を回復させようとしないでいることに対する苛立ちの表明なのだというのに。

 イスラエルのこの厚かましさは、アメリカ合衆国がイスラエルを保護してくれるという意識や、いかなる妨害も受けずに居続けられるという安心感がなければ、これ程までにはならなかっただろう。イスラエルは国連安全保障理事会でアメリカが提供してくれる政治的支援や、地域におけるイスラエルの優位とその継続を保証してくれる資金や最新の軍事物資や軍事技術に寄りかかっているのだ。

 一方的なゲームをしているかのように感じる空気の中で、イスラエルの指導部や軍高官たちは、思い上がったサッカー・コーチに似てきている。試合が始まる前から自身の戦術能力を自慢し勝利は確実だと言うような輩である。

 もし、こうした不公平が際限なく続くと見なしているならば、イスラエルは大きな過ちを犯している。物事は必ず変化するのだから。

 権利は決して失われないということを示すあまたの章で歴史は満ちている。我々は権利の所有者であり、歴史の所有者である。私たちは「正当な要求に支えられた権利は失われない」との言葉が真実であると信じている。

 ガザは膝を屈しない。イスラエルがどれだけ死と破壊の爆弾を投げつけようが、パレスチナ人たちが降伏することはない。むしろ火に油を注ぐもの者達の指が焼かれるであろう。彼らこそは、憎しみや復讐心、人種主義や高慢さの火花に育まれた力の幻想に囚われた者たちだ。

 この虐殺に道を拓いたすべての人々に言いたい〔訳注:ここでは暗にエジプトの対応を強く批判しているヒズブッラーのことをあげつらっている〕。政治的な活動と狼藉者の所業との間には雲泥の差がある。政治とは技巧であり、外交であり、知識であり英知なのだ。それに対し、狼藉者のやる事といえば扇動であり、こけ脅しであり、辛辣な言葉、生半可な理解、そして武器の使用にほかならない!

 歴史のページをめくり返して、エジプトは誰にもその行動を縛ることのできない国であり、エジプトの根本的な命題とは意思と決定の独立性であったということを、彼らは全員知るべきである。エジプトは責任上、その代価がいかに高くつこうとも、こうした戯言〔訳注:イスラエルのガザ攻撃についてエジプトの対応を強く批判したヒズブッラーのナスルッラー書記長の日曜日の演説のことを意図していると思われる〕や幻想を放置するわけにはいかないのだ。

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( 翻訳者:鈴木啓之 )
( 記事ID:15459 )