ブルサの雪山で遭難、携帯電話で連絡とれるも凍死 原因は時間のかかるお役所仕事
2009年01月21日付 Milliyet 紙
ウル・ダー(山)で行方不明になったウミト・オズゲンさんは、頻繁にメッセージを送って状況を知らせていたが発見は11時間後となり救われなかった。GSM携帯電話会社は検察の許可を理由に、ウミトさんの居場所を知らせるのに4時間かかったことが分かった。
オズイェーン大学で観光・ホテル経営学を学ぶウミト・オズゲンさん(21)は19日、ウルダーでスノーボードをしている時にいなくなった。彼は親しい人々に頻繁に携帯電話からメッセージを送って、軍警察(ジャンダルマ)と連絡をつけ、11時間後に凍死寸前のところを発見されたが、意識不明状態で乗せられた救急車の中で息を引き取った。
父親のハルク・オズゲンさんは、救急車に乗る際に息子の顔をなでたのが最後になった。父親は、携帯電話会社が息子の居場所について、検察から許可をとる必要があることを理由に4時間たってから公開したと述べ、反発を示した。父ハルクさんは、息子ウミトさんが正午頃に姿を消し、18時半までは電話が通じていて、23時頃に発見されたが、4キロしか離れていないホテル街に深夜2時頃に搬送されたと述べ、怠慢な対応をした人たちについて訴訟手続きをとると述べた。
■通信は途絶えなかった
ウミトさんは18日、大学のスキー・サークルの友人8人と一緒にウルダーを訪れた。一行は第二地区にあるモンテ・バイア・ホテルに落ち着いた。彼は19日の正午頃にスキーをするためホテルを出発した。鉱山地点に出たウミトさんは、滑走中に霧のため方向を誤った。ホテル街の方向ではなく、ボルフラム鉱山の方へ向かった。気温氷点下3度、視界が1メートル以下となると、遭難したと認識し、空き小屋に避難した。
携帯電話で母親のヌーラン・オズゲンさんに電話をかけ、「道に迷ったが元気です」と伝えた。また友人にも連絡し、携帯電話の充電量が残り少なくなったので、自分の現在地について短いメッセージを送り始めた。ウミトさんはメッセージのうちのひとつに、「寒い。凍えないよう走っている」と書いた。
通報を受けたジャンダルマは捜索活動を開始した。父親のハルクさんもアンカラから駆けつけた。ウミトさんは時折、ジャンダルマに連絡し、現在地を説明しようする一方で、「ホテル街に向かいます」といって、小屋から出た。素早く行動するため、着ていたスキーウェアを脱いで走ったとみられるが、しばらくして意識を失って倒れた。ウミトさんを見つけようと、ジャンダルマは雪上の足跡を辿って小屋とスノーボードを発見した。そして隊は23時頃に、小屋から1.5キロの地点で凍死寸前のウミトさんを捜し当てた。
軍警察はウミトさんをしばらく背負って運んだ。途中で、捜索救助協会のメンバーも援助した。ウミトさんは意識不明の状態で、失踪から14時間後の20日午前2時にスノーモービルでホテル街に運ばれ、すぐに救急車でブルサに搬送された。救急車に乗り込む際に息子に触れたハルクさんは、「神よ、どうか我が子を奪わないでください」と祈った。しかしウミトさんは搬送中に息を引き取った。父ハルクさんは、「息子にメスを入れるなんて出来ません」と息子の検死をしないように願い出たが、検察局は遺体を法医学機構の遺体安置所に搬送した。
■携帯電話会社チュルク・セルの発表
一方、ウミトさんの家族が息子の死に関して責任をとることを求めているGSM携帯電話会社チュルク・セルは、この件について声明を出した。声明では次のように述べられた。
「信号情報の検討調査は、テレコミュニケーション通信庁により運営されています。この過程はオペレーター業務とは別に運営されており、オペレーターが介入することは法律上不可能です」
この記事の原文はこちら
( 翻訳者:川原田喜子 )
( 記事ID:15620 )