ナーテグヌーリー師、「国民統一政府」構想をめぐる憶測を否定
2009年01月24日付 Jam-e Jam 紙

【政治部】「国民統一政府」を提唱したナーテグヌーリー師は、この構想が我田引水のごとく都合良く扱われている様子を見て、今後さらなる憶測を呼ぶことのないよう、すでにこの構想を封印したことを明らかにした。

 しかしナーテグヌーリー師が述べたように、この構想はさまざまな党派によっていまだ政治的に利用され続けており、「国民統一政府」という考え方は、原理派がアフマディーネジャード氏の「通過」〔=パスすること、回避すること〕を考えていることを示唆するものだと指摘する向きも一部にある。この問題をめぐる議論が封印された後も、「国民統一政府」構想はひそかにナーテグヌーリー師を軸にして進められているとする噂がくすぶり続けているのだ。

 アリー・アクバル・ナーテグヌーリー師はイラン国営通信とのインタビューの中で、同師がアフマディーネジャード氏の「通過」を考えているとする指摘を否定した上で、「このような指摘は正しくない。むしろこのような指摘は、私たちの真摯なスローガンが悪用されていることを示している」と述べた。

 同師はその上で、「私の議論は、このような内容を超越する性格のものだ。選挙が終わった後、再度『国民統一政府』について議論があるかもしれないし、私の構想を支持してくれる人もいるだろう。私の構想は、ある一時の選挙に関わるものではない」と続けた。

 公益判別評議会の委員を務める同師は、さらに次のように述べた。「私が論じたのは、国内の諸勢力・諸党派が一致して、国を運営すべきだということである。ある一派だけが国政を担うことは不可能だからだ。『国民統一政府』とは、このことを意味している。ところが、一部にはこれを政治的に利用しようとする人々がいる。もちろん、この手の政治的利用はあらゆる党派にみられるものだ」。

 ナーテグヌーリー師は、「国民統一政府」構想がひそかに進められているとの報道がなされていることについても「『国会30周年記念大会』の後、〔新聞紙上に〕論文を寄せて〔この構想を〕攻撃した諸氏は、はっきり言って、何も理解していないようだ」と述べた。

 「彼らの分析とは、とどのつまり、『ナーテグヌーリー師は《国民統一》という名の構想を練り、その後ラーリージャーニー氏〔現国会議長〕と連携して、この構想を実行に移そうとしている。これ〔ナーテグヌーリー師の動き〕はそのための第一歩だ』というものだ」。ナーテグヌーリー師はこのように指摘し、その上で「このような分析は、まったくもってその根本から誤っている〔‥‥〕」と述べた。

 ナーテグヌーリー師はその上で、自らが唱える『国民統一政府』構想について、次のように説明した。「『イスラーム』、『革命』、『イマーム〔・ホメイニー〕』、そして『最高指導者』を受け入れる者は、誰であれ一つの傘の下に集まることができるはずだと、私は考えている。もし真の意味で、この考えが実行に移されるならば、どれだけの力が結集されるだろうか」。

 ナーテグヌーリー師はまた、原理派の団結に向けた自らの提案について、「私は今でも、原理派は一致すべきだ、あの調整評議会を復活させるべきだ、〔新たに〕要職に就いた若い人たちをきちんと統制しなければならない、と考えている」と述べた。〔※訳注〕

〔中略〕

 ナーテグヌーリー師はまた、第9期政権の外交政策や核エネルギー分野でのスタンスに支持を表明して、「もしわれわれが外交において受け身的な対応を示せば、それは敗北を意味する」と述べた。

 最高指導者調査特別事務所の所長を務める同師は、さらに次のように続けた。「この分野は、ちょうど戦争のようなものだ。少しでも後退すれば、その分だけ士気も弱まり、敵の勢力が勢いを増して、前に進み出てくる」。

 「それゆえ、私は第9期政権の外交政策を受け入れる。受け身的な対応を取っておらず、西洋に屈することなく抵抗を続けているからだ。私は第9期政権のこの抵抗の姿勢を好ましいものだと考えている」。

 ナーテグヌーリー師はまた、同師がミール・ホセイン・ムーサヴィー元首相と会談を行ったとの指摘がなされていることについて、この指摘を否定した上で、次のように述べた。「私はムーサヴィー氏を尊敬しているが、私が〔80年代に務めていた〕内相を退いてから今の今まで、彼と会ったことは一度もない。電話で話したこともないし、直接会ったこともない。選挙について彼と話をしたことも、もちろんない」。

 同師はその上で、「この手の分析には、特に驚いてはいない。結局、政治的な人間というのは、咳をしただけでも分析したがるものだ。政治的な人間というのは、一つ話をしただけで、誇張して理解する。しかし真実は、先ほどお話しした通りだ」と述べた。

 同師はまた、「ナーテグヌーリー師は現在、ハータミー師の考えと極めて近いと言われているが」との質問には、次のように答えた。「いや、ハータミー師の考えは私の考えと多くの点で異なる。外交面での私の考え方がアフマディーネジャード氏に近く、別の分野では別の人に近い、ということはあり得ることだ。しかし私自身は独立した人間であり、〔独自の〕考えをもっている」。

 同師はその上で、「『ナーテグヌーリー師は向こう側〔=改革派陣営〕に行ってしまった』などと一部で言われているが、それは正しくない」と語った。

 同師は最後に、「もし私を切り刻んだとしても、私が信じる原則、〔ホメイニーの〕『法学者の監督』論を手放すことはない。統治における監督者たるイスラーム法学者〔=最高指導者〕は、まさに神の使徒〔預言者ムハンマド〕と信徒の長〔イマーム〕の後継者であり、統治においてその法学者に従うことは、神の使徒に従うのと同様、〔イスラーム法上の〕義務であると私は信じている」と強調した。



※訳注:ナーテグヌーリーが指摘した「調整評議会」とは、2003年の地方議会選挙や2004年の国会選挙で、原理主義諸派の利害を調整し、原理派として一致して選挙戦に臨むために機能した「革命諸勢力調整評議会」のことで、ナーテグヌーリーはその評議会の議長を務めていた。2005年の大統領選挙では、この評議会が有効に機能せず、同評議会が公認の立候補者として推したラーリージャーニー以外に、アフマディーネジャードやガーリーバーフといった人物が出馬し、立候補者の乱立が起きた。なお、「要職に就いた若い人たち」というのは、ナーテグヌーリーのような古参の政治家に対して、アフマディーネジャードのように2003年以降中央政界に台頭してきた「新保守主義」的な「青年」勢力を指す。

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:15708 )