モジュタヘド=シャベスタリー、宗教的な議論を装った反宗教的議論を行う
2009年02月28日付 Jam-e Jam 紙
〔写真は2月28日付エッテマーデ・メッリー紙15面からの転載〕
〔写真は2月28日付エッテマーデ・メッリー紙15面からの転載〕

【政治部】偉大なるイスラームの預言者ムハンマドとイマームたちの無謬性をめぐるモハンマド・モジュタヘド=シャベスタリーの発言が、波紋を呼んでいる。

 モハンマド・モジュタヘド=シャベスタリーはエスファハーン工科大学での講演で、預言者の無謬性についての質問に答える形で次のように述べた。「預言者の責務とは、ただ人々を神の方向へと呼びかけることにあった。この責務において預言者は無謬であり、一切の過誤はなかった。しかし〔その他の点で〕預言者が過ちを犯したかどうかについて言えば、彼の発言や伝承を見る限り、預言者が無謬であったと考えることはできない」。

 シャベスタリーは預言者一族の無謬性を明示するクルアーンの章句に触れることなく、偉大なる預言者や信徒たちの長〔初代イマーム・アリーのこと〕の懺悔の言葉を指摘して、預言者とイマームたちの言動を次のように解釈している。曰く、「彼らは毎晩のように長時間にわたって祈りを行った。これは、彼らが自らに欠点があることを感じ取っていたことを証明する。自らの欠点を取り除くために、彼らは祈りを行ったのである。そうでなければ、欠点も誤りもない人物が〔神の赦しを〕強く求めて悶えることなど、ありえようか」、と。

 シャベスタリーはその上で、「もちろん、これらの〔預言者やイマームたちの懺悔の〕言葉は人々の心を自らに引きつけるための偽りの言葉だ、という解釈も可能だ〔=もし預言者たちに欠点があったという解釈を認めなければ、彼らの懺悔は偽りのポーズだった、ということになる〕」と続けている。

 このように、シャベスタリーは預言者の無謬性を否定する発言を行っているが、クルアーンの多くの聖なる章句や数々の論理学的・伝承学的証拠は、ムハンマド一族と偉大なる預言者たちの無謬性を明確に示している。

 最高指導者専門家会議の議員であるアーヤトッラー・セイエド・アフマド・ハータミーは、モジュタヘド=シャベスタリーのこの発言に対して、預言者とイマームたちの無謬性はわれわれの宗教上の定理の一つとなっていると指摘、シーア派の信仰の定理の一つこそ〔預言者一族の〕無謬性に他ならないと述べている。

 ハータミーはまた、モジュタヘド=シャベスタリーの過去の発言に触れ、「この人物は以前にも、あるインタビューの中で、進歩と発展のためにはデモクラシーに拠る以外に方法はない、過去のイスラーム法学・神学の基礎から離れる必要があるなどと述べていた」と指摘、さらに次のように続ける。「この人物は無謬なるイマームたちの人知を越えた知的能力を否定する発言を行っていた。しかしながら、預言者とイマームたちは、普通の人間には図り知ることのできない事実をいくつも予見したし、それらは実際に実現した。無謬なるイマームたちは、後に実現することになる隠された事実をいくつも予言してきたのである」。

 モジュタヘド=シャベスタリーのこのような発言は、彼だけにとどまるものではない。アブドル・キャリーム・ソルーシュ〔※1〕もかつて、啓示とは預言者の想像と認識の産物だなどといった議論を行っている。

 明らかなのは、ソルーシュやモジュタヘド=シャベスタリーといった人物の見方とは、認識論的・人文科学的観点から言えば、基本的に「リベラル」なものだということである。いわゆる「啓蒙主義」的な思想潮流は、西洋的な近代性や人権概念の優越性を認め、その上で宗教的テクストに対する自らの理解を近代文明の上に基礎付けようとする。

 換言すれば、西洋の近代性や近代的人権概念と矛盾しているような宗教的法規定や教条といったものは再解釈されねばならない、と彼らは考えているのだ。

 これらの人物はまた、イマームたちの無謬性を否定し、あるいは別の言い方をすれば、それを再解釈することで、「法学者の監督論」(ヴェラーヤテ・ファギーフ)を標的にしようとしている。なぜなら「法学者の監督論」とは、〔無謬なる〕イマームたちの〔一般信徒に対する〕監督権への信仰に由来するものであり、かつその〔必然的〕結果であるからだ。〔※2〕

 これらの人物は、啓示とは預言者の神秘的状態から得られた産物に他ならず、預言者の真理との関わりは絶対的なものではない、預言者たちは一度に出現したわけではない以上、このような〔真理との相対的な〕関わりから得られたものも預言者たちによって〔※3〕それぞれ異なる、などと論じている。

エスファハーン工科大学の学生らの反応

 預言者とイマームたちの無謬性に関するモジュタヘド=シャベスタリーの発言に対し、エスファハーン工科大学の学生らは声明を発表し、彼の反宗教的発言に抗議した。

 学生らは声明の中で、次のように指摘している。「自らをムスリムであると吹聴しながら、同時にジョン・ロックやポパー〔※4〕のリベラルな思想や、マルクスの左翼思想を喧伝するといったことが、どうして可能だろうか。彼らが唱える折衷主義的な混ぜもののイスラームは、かのハワーリジュ派〔※5〕のイスラーム、フォルガーン〔※6〕のイスラーム、モジャーヘディーネ・ハルグ〔※7〕のイスラームである」。

 この声明では、さらに次のように述べられている。「彼らは混ぜものの折衷主義的思想をイスラームの名の下で喧伝し、イスラームの根本を斧で切り落としている。偉大なる預言者の無謬性を疑問視し、預言者を普通の人間のように地上の存在に貶めている。彼らは、預言者とその一族の追悼日には拍手喝采し、西洋思想と東洋思想の混ぜものをイスラームと称して喧伝している。彼らはクルアーンの啓示と神聖性を侮辱しているのだ」。

改革派は社会をテストしている

 国会文化委員会の委員であるモハンマド・ジャヴァード・アーリーンマネシュ議員も、モジュタヘド=シャベスタリーの発言に関して、次のように述べる。「〔大統領〕選挙を目前に控え、改革派は慎重に社会をテストしている。彼らはそうすることで、この種のスタンスが社会で票に結びつくのか見極め、選挙戦に臨もうとしているのである。しかし、市民はこのような人々を歓迎しないということを、彼らも知るべきだ」。

 同議員はファールス通信とのインタビューの中で、さらに次のように指摘している。「ここ最近、イスラームならびにイスラーム的諸概念とヒューマニスト思想とを適合させる試みを行っているエセ知識人どもは、イスラームの諸価値に疑問を投げかけるために、預言者とイマームの無謬性を否定したり、クルアーンには欠陥があると主張したりしている。彼らは意識的ないしは無意識的に、破壊のための運動を起こしている」。

 同議員はその上で、「万が一改革派が権力を握るようなことになれば、この種のエセ知識人どもが再びカーテンの裏から姿を現し、改革派の理論家を称して、〔イスラームとイスラーム共和国体制に対し〕これまで以上に大胆不敵に侮蔑的言論を弄することになるだろう」と続けている。



訳注:
※1:ソルーシュはイスラーム解釈の歴史性を論じ、イデオロギーとしての宗教ではない、より「太い」ものとしての宗教の復権を唱えて、現在のイスラーム共和国体制を批判している哲学者。

※2:ホメイニーの「法学者の監督論」は、預言者やイマームたちの地位を精神的な地位と統治者としての地位に分けた上で、「公正で有識の」イスラーム法学者にはイマームたちの統治者としての地位が受け継がれていると論ずるもの。現イラン・イスラーム共和国体制の中枢をなす政治理論。

※3:原文では「預言者たちの明瞭な(mobayyan、アラビア文字ではm-b-y-n)」とあったが、「預言者たちの間で(beyn、アラビア文字ではb-y-n)」の誤植と判断した。

※4:ポパー(1902-1994)は『開かれた社会とその敵』などの著書で有名な科学哲学者。彼の著書の多くがペルシア語に翻訳され、イランの民主化を訴える人々の人気を博している。

※5:ハワーリジュ派は初期イスラームに興った思想集団で、シーア派の初代イマーム・アリー(第4代正統カリフ)を暗殺した。

※6:フォルガーンは1979年の革命の初期に、革命のイデオローグの一人であったモルタザー・モタッハリーを暗殺したとされる集団。革命のもう一人のイデオローグで、モタッハリーと対立していたアリー・シャリーアティー(革命時にはすでに他界)を信奉する急進的な集団であったとされる。

※7:モジャーヘディーネ・ハルグ(人民聖戦士機構、MKO)は、イスラームをマルクス主義的に解釈し、1979年の革命に大きな役割を演じた集団。革命後、「イスラーム共和党」との政治闘争に敗れ、イスラーム共和党爆破事件などを起こし国外に逃亡、現体制からは「テロ集団」と名指しされている。なお、革命前にもシャー体制の要人や米関係者の暗殺を繰り返してきたことから、アメリカでもテロ組織として指定されている。

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:15924 )