ハンセン病治療と女子教育に貢献―エルゲネコン捜査対象のセイラン女史
2009年04月14日付 Radikal 紙

セイラン女史は、1976年にハンセン病の研究を始めた。イスタンブル・ハンセン病・皮膚病・性病病院の設立に尽力した。彼女はトルコ全土を訪れ、ハンセン病を治療し、その知識を広めた。彼女がハンセン病との闘いを始めた時、トルコで1万人のハンセン病患者がいた。現在では年にわずか5~10人しかハンセン病を新たに患わない。セイラン女史は「(患者と)我々は大きな家族である」と述べ、その活動は単なる治療に留まらなかった。患者達のためにプロジェクトを立ち上げ、子供たちへの教育を援助した。ハンセン病との闘いで手にした成功により、1986年に国際ガンジー賞を受賞した。また、2006年まで国際保健機構のハンセン病顧問を務めた他、国際ハンセン病連盟(ILU)創設メンバー及び副理事長も務めた。
アナトリアを視察した際に直面した現実に目を背けられなかったと話すセイラン女史は、2人の息子に加えて何千人もの子供たちの母親となることを選び、1989年に近代生活支援協会を立ち上げた。20年間にわたってカンディリ女子高等学校文化・教育財団の理事長も務め、教員協会を創設した。2001年~2007年には高等教育機構(YÖK)の委員を務めた。さらに首相府人権相談委員会委員やイスタンブル県人権委員会委員を歴任し、2007年にはアンカラのタンドアンとイスタンブルのチャーラヤンでの共和国集会の組織に携わった。
セイラン女史は生涯の大半において癌と闘い、今も闘い続けている。セイラン女史は今年、受賞したヴェフビ・コチ財団のコチ賞の賞金10万ドルを女子教育のために寄付し、ラディカル紙に「私にとって最も貴重なものは、時間です」と話した。

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( 翻訳者:牧史織 )
( 記事ID:16208 )