検察官の想像の産物?―AKPからもエルゲネコン捜査に疑問の声
2009年04月14日付 Radikal 紙

 公正発展党の会派代表代理の一人であるコジャエリ選出国会議員のニハト・エルギュン氏は、エルゲネコン捜査の一環で拘束された人物は現在「容疑者」であるとし、裁判所の決定が下されるまで誰も有罪無罪であるか判断することはできないと述べた。エルギュン氏は「おそらくエルゲネコンの起訴状を作成した検察官はいくつかの件で過度の解釈をした可能性がある。それはわからない」と述べた。

3月29日地方選挙でイズミットの首長に就任した公正発展党のネブザット・ドアン氏を訪問したニハト・エルギュン議員は、ここでエルゲネコン捜査と拘束者に関する質問に答えた。エルギュン議員は、「この種の捜査は司法が計画し、監督し、意を払っているものである。そこには政治権力がこの種の捜査を行った、行わせた可能性はない。政治権力は、立法と行政として自らの分野における活動を行っている」と語った。

■ 我々は有罪無罪を判断できない

エルギュン議員は、司法が捜査を開始させ、その始まりは2007年6月12日に行われた告発であったとし、捜査が明確に拡大し、新しい情報や書類にたどりつく度に、ほかの捜査の実施が生じたとして、次のように続けた。

「裁判所が決定を下すまで誰に対しても『有罪』ということはできない。しかし『無罪である』ということもできない。現在の位置づけは容疑者である。容疑者にいかにアプローチするかが必要にせよ、事件にもそのようにアプローチする必要がある。われわれは誰一人も先んじて有罪であると宣告することはできない。しかし何びとに対しても無罪であると宣告することもできない。野党の一部は『かれらは無罪だ』と宣告している。『無罪の人物に捜査が進められている』と表現している。この人物が無罪であると願う。しかし無罪であるか否かは裁判所によって判断される。政治家によってでない。」

■ 司法に協力すべき

行われるべきもっとも正しいことは司法に協力することだと主張したエルギュン議員は、次のように語った。

「時に黙して、語らずに協力することである。もしも司法が議会に要請するなら、政府に要請があったなら、政府には議会への司法の要求を「事件が明らかにされるように」にと、「トルコの過去に汚点を残さなさいよう」と、「将来を暗くしようと望むものがいるならば、こうした人物が好機をみいだせないように」と、こぞって司法に協力すべきである。政治の仕事は司法に協力することである。そのために何びとも手元に具体的な情報なしに、検事の手元にどのような情報があるかを知りもせずに、裁判所がこの証拠をどのように判断しうるかを知りもせずに、この捜査についての成り行きに言及するは、絶対に当座の問題ではない。こうした行為を正しいとはしない。」

■ 検事が過度の解釈をしていることも

公正発展党に対して一年前、解党裁判が開かれたことに触れたエルギュン議員は、以下のように発言を終えた。

「当時私たちに『裁判所に敬意を示しなさい。あなた方は自分たちの主張を用意しなさい。裁判所の判決を待ちなさい。法には従いなさい。司法に従いなさい、憲法に従いなさい』と言っていた人々、私たちにこの勧告をした人々が、今日これとは違うことをのべている。今同じことをいわねばならない。あなたがたは関わるな、司法が判断するのだから。被告や容疑者、彼らには弁護士がいる。自分たちを擁護しうるのだ。無罪であることを信じているならば、これらのことを真摯におこなうだろう。書類や証拠が不十分であるならば判事がこれを考慮するだろう。検事の主張が行き過ぎであるということも、ありえる。たとえばわが党に関する検事の主張も行き過ぎであった。裁判所はこの行き過ぎの箇所を抜き取った。つまり『この証拠の95%を認めない』と裁判所は言ったのだ。わが党に関する5%(の証拠)で判断している、しかしこの5%が政党の解党のために十分な証拠をなしていないと裁判所は判決を下した。おそらくエルゲネコンの起訴状を作成した検事もいくつかの件では行き過ぎた解釈を行ってしまった可能性もある。それはわからない。」

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( 翻訳者:栗林尚美 )
( 記事ID:16209 )