DTP(民主市民党)党首が、エルドアン首相に、「歴史的対話」を呼びかけたに翌日、PKKの「停戦宣言」は地雷爆弾によって終わった。2つの県で、10人の兵士が死亡した。
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PKKは今冬、攻撃もせず、静かに過ごした。3月21日に攻撃を開始したが、その後アルビルで行わるクルド会議を理由に6月1日まで一方的に「停戦」を宣言した。昨日行われた2件の攻撃は、次のようなタイミングで起こった。すなわち、民主市民党(DTP)の地方選挙での快挙、南東アナトリア各地での示威行動に加わった少年らへの罰の嵐、過去2週間の間に、PKKとの繋がりがあるとの理由で、多数のDTP指導者層を含む300人強が拘束されたこと、PKKのインターネットサイトに、「DTPへの攻撃と、クルドの子供たちに対して行われたことに対し、沈黙しないよう」との呼びかけがあった翌日にDTPのアフメト・チュルク党首がエルドアン首相に「歴史的な対話を始めよう」と呼びかけ、アポを申し出たこと。その一日後に、地雷攻撃は起こった。CNNチュルクは、爆発した地雷は100キロであると発表した。M-113は、1960年代以降にNATO加盟国で使用されている。
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( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:16333 )