マルディン惨劇の原因を探る
2009年05月05日付 Hurriyet 紙

大惨劇で近親者を失った村人のオスマン・チェレビは襲撃犯が彼の姉の子供であったことを明らかにし、自分たち全員を完全になきものにすることが、彼らの目的であったことを述べた。チェレビは「彼らはわれわれを完全に消し去り、そして事件を(PKKの)テロ組織が起こしたものとしようとしていた。甥は事件現場から逃げることに成功したが、(自分だけでなく)他に負傷者もいた、(そのため)すべてが明るみに出た。」と述べた。死者44名のうち9名が自警兵であり、襲撃で亡くなった子供6名の年齢は1-15歳であったことが明らかにされた。惨劇で亡くなった人のうち最後に身元が明らかになったのは、アイハン・チェレビであることが判明した。

■惨劇の原因は鱒の養殖場?

惨劇の捜査が続けられる一方、さまざまな可能性が取沙汰されている。ある主張によると、村近くの鱒の養殖場の経営をめぐってのいざこざが惨劇を引き起こしたという。3年前、前村長であったジェミル・チェレビは村の近くに鱒の養殖場を作った。貯水池で育てられた鱒はピクニック客で売られ始めた。この地域で大きな関心を呼び、成功した。これをみて、もともと確執のあった叔父の子供らが、ジェミル・チェレビの養殖場のそばに別の養殖場を作った。しかし、2番目の養殖場はもうからなかった。仕事場での販売がうまくいかなかった親類は軍警察に「ジェミル・チェレビはPKKの一員である」と密告さえした。昨年、こうした緊迫の中で軍警察はジェミル・チェレビの鱒の養殖場を一時的に封鎖した。このように、両者の間の緊張は警備隊の耳にまで達していた。結果として大惨事が起きた。

■暴行の疑い?

そのほかの主張によると、惨劇の原因は襲撃で亡くなったチェレビ家のある青年が襲撃者の近親者の少女を結婚の約束をして誘惑し、しかし実際には結婚しようとしなかった件があるという。このため少女の親族は復讐の目的でこの襲撃を実行したという。

■8名を失った

襲撃で2人の娘を含む4人の子、そして3名の嫁、さらには孫一人を失くした75歳のスルタン・チェレビの悲嘆の叫びは人々の心を打った。スルタン・チェレビは涙を流しながら「私の家庭に火を付けたものたちよ、彼らの家庭にも、火が燃えあがるように。もっとも重い罰が下りますように。彼らは、私たち皆を絶望に陥れたのだ・・」と述べた。

■ 民主市民党「これは、計画的大量殺人」

民主市民党の国会議員のセラハッティン・デミルタシュ、ギュルテン・クシャナク、アイセル・トゥークル、ペルヴィン・ブルダン議員と、ディヤルバクル市長のオスマン・バイデミルは、村を視察したのち、記者会見をした。セラハッティン・デミルタシュ議員は、「この事件の犯人が捕まらず、目撃者も生き残っていなかったなら、いったいこの事件は、どんな方向にもっていかれたことだろう。この襲撃は、幼い子供の目撃者さえ、生き残らないように行われた。生き残った人は、偶然助かったにすぎない。この事件をうやむやにはしない。これは、ひとつの「大量殺人」だ。目撃者たちは、結婚問題や、因習が原因の殺人だとは考えていない。因習による殺人だと捉えることは、事件の真相解明をさまたげる。この襲撃は用意周到な計画的なものであり、あとに目撃者を残さないための、処刑の意味で行われた惨劇だ。よくある「因習による殺人」と考えてはならない。私たちはトルコ大国民議会に調査委員会の設立を求める」と述べた。

ギュルテン・クシャナクは、村から5分の場所に警察署があるとし、「これほど激しい銃声だったのだから、警察にも聞こえ、対応がなされるべきだった。これは調査されなければならない。2家族の間に、「血の復讐」があったわけではない。娘を嫁に出す・出さないという問題もなかった」と述べた。

オスマン・バイデミル市長も、この殺人事件に関し、いかなる不明な点も残さないことが必要だとし、「これは、法的な、また良心からの責任である。どんな疑問点もなくなるように調査する必要がある」と述べた。

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( 翻訳者:栗林尚美 )
( 記事ID:16371 )