12211の村で、村名が変えられた―1940~2000
2009年05月13日付 Radikal 紙
トルコ各地の村の名称をクルド語の名前に戻そうという議論がある中、ある調査によると1940-2000年の間に35%の村が名称変更していたことがわかった。クルド語、アルメニア語、グルジア語、ラズ語などに加え、名前の一部に「赤(註:共産主義を示す場合もある)」「(キリスト教会の)鐘」「教会」など不都合な表現が含まれるトルコ語名も姿を変えた。
政府が、クルド語であることを理由に名前を変えさせられた村に対し、もとの名前に戻すことを認める発表をしたことが注目を集める一方、フラト大学人文・経済地理学科の学科長ハルン・トゥンチェル教授の調査によって、過去の悲劇が明らかになった。1940-2000年の間に、トルコ全体の村の35%に相当する12,211の村の名前が変わっていた。もっとも多く対象となったのは黒海東部、アナトリア東部および南東部であった。エルズルムで653、マルディンで647、ティヤルバクルで555、ヴァンで415、スィヴァスで406、カルスで398の村が一夜にして地図上から消えた。クルド語、グルジア語、ラズ語、アルメニア語が使われている村名は大半が変更させられたのに加え、「赤」「鐘」「教会」という言葉の含まれる「不適切な」名称の村も変更させられた。しかし、クルド語だと思われていたのが実はシュメール語であったり、トルコ語と思っていた名前がアルメニア語だったりする可能性があるとトゥンチェル教授は指摘する。「言語学者による調査の結果、シュメール語、アッカド語、ウラルトゥ語のような文明の言語とのつながりが発見されることもありうる。」
トゥンチェル教授の、1940-2000年を含む「名前を変えられたトルコの村」に関する調査は、トルコ近代史において目を逸らされてきた部分に光を当てている。1940年から今日まで、トルコ語であるなしに関わらず大規模な村名変更が行われていたと語るトゥンチェル教授の報告からは、名称変更における実態の一部がうかがえる。
・ 名称が変更になった村はトルコ全土に亘っているが、黒海東部やアナトリア東部・南東部では明らかに集中している。新しい名称は村の住民たちに完全には浸透せず、とりわけ中年層および高齢者は今でも古い呼び名を使っている。
・ トルコでは、地名を変更する取り組みは共和国初期より行われている。例えば、アルトヴィン州にある、大半がグルジア語の名前をもつ集落では「州議会」の決定によって1925年に全ての名前が変更された。
・ 名称変更の取り組みは、内務省が1940年の終わりに発表した8589ページからなる回覧状によって正式のものとなり、「外国語またはそれに由来する名称、誤解を招きやすい集落名と地名はトルコ語名に変更する」ことが始まった。回覧状のあとに、各県庁によって外国語に由来のある地名をまとめた資料が準備され、内務省に送られた。しかしこの取り組みは第二次世界大戦 によって長期間保留となっていた。1949年に5442号の州行政法によって法的な効力をもつようになった。1957年には「名称変更専門委員会」がつくられ、同委員会は、休止を含みながらも、1978年に「歴史的価値のある場所の名前」も変更を行ったとの理由で解散するまで、活動を進めた。
・ トルコで名前を変えられた村の数は12,000を超える。つまり、トルコ全体の村の35%が名前を変えられたことになる。ここで注目されるのは、トルコ語でない、またはそう判断される名称、および誤解を招きやすい名称がまず対象になったことである。
・ 「愚かな館」「馬の頭」「魔女」「腐った」「頭のおかしい」「豚の網」「移り気な」「泥棒の泉」「馬鹿」「売女の」「男色家」「毛むくじゃら」「愉快な」「悪い村」「狂犬」「苛立ち」などの意味があり聞き手に良い印象を与えない名前や、「赤」「鐘」「教会」の言葉が入る名前が変更された。クルド、グルジア、タタール、チェルケズ、ラズ、アラブ、移民などの言葉が使われた名前も「分離主義に機会を与えないため」という理由で過去のものとなった。
・ 黒海地方でもっとも注目を集めたのはトラブゾンとリゼでの集中であった。トラブゾンとリゼでは合計495の村で名称変更が行われたが、そのうちの20はトルコ語名であり、残りはギリシャ語、ラズ語、アルメニア語、グルジア語であったために削除された。アナトリア東部および南東部でも、変更対象となったのは多くがアルメニア語、クルド語、アラビア語由来であった。
ラディカル紙の質問に答えたトゥンチェリ教授は、名称変更が行われた村のもとの名前の起源はどこなのか、明らかにする調査はないという。そのため言語学者による研究が必要だと強調し「研究には、トルコ語、ペルシャ語、アラビア語、アルメニア語、ザザ語、クルマン語、シリア語—アラム語、シュメール語、アッカド語、ウラルトゥ語などの非常に多くの言語や方言に精通していることが必要」と話した。
トゥンチェリ教授はまた、村の名前は時間とともに変化したことや、クルド語だと思われていた名前が実はシュメール語、トルコ語、アラム語などである可能性があること、同様にトルコ語だと思われていた名前がアラビア語、アルメニア語、アッカド語であることもありうると説明した。「さらに、言語学者 の調査の結果、現在は存在していないシュメール語やアッカド語、ウラルトゥ語などの文明の言語とのつながりが発見されるかもしれない。地名の変更に関して法的な制限はなく、手順を踏めば可能なはずだ。」
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( 翻訳者:湯澤芙美 )
( 記事ID:16441 )