ギリシャで、「イズミル上陸は正しかったのか」論争
2009年05月15日付 Hurriyet 紙

エーゲ海の向こう岸では、今年90周年を迎えるイズミル上陸が議論されている。カティメリニ紙がインターネット・サイト上で行った、「ギリシャ軍によるイズミル上陸は正しかったのか」との論争には、多くの意見が寄せられた。

民族解放戦争から87年、ギリシャ軍のアナトリア派兵から90年になる今年、ギリシャではトルコへの敗北について、答えが出されようとしている。カティメリニ紙は、ギリシャで「小アジア(アナトリア)の惨事」として知られる解放戦争前後の時代について、インターネットで大規模な論争を始めた。

2つの大陸と5つの海にギリシャの主権を主張する「メガロ思想」の原則に従い、1919年、エレフテリオス・ヴェニゼロス首相(当時)の命令によって、ギリシャ軍はアナトリアに送られた。しかし3年後、アタテュルクの指揮した解放戦争により、「メガロ思想」の原則はエーゲの海に消えていった。カティメリニ紙は、アンケートで「ヴェニゼロスがギリシャ軍をアナトリアへ送ったのは、正しい判断であったか。ギリシャ軍が、エーゲ海岸に留まるだけでなく、アナトリアの内陸部まで進軍したのは正しかったのか。敗北は回避できたのだろうか。」という質問を行った。この論争には15日間で250を越える歴史家、文筆家、読者が参加した。

■ アレクシス・パパヘラス(新聞記者):
ヴェニゼロスは、全ての偉大なリーダーと同じように、眼前に現れた機会を利用したかった。リーダーというのは、民衆がからその姿が見えないくらい前にいなければならない。ヴェニゼロスは、1920年に疲弊した国民に選挙を強いるという失政を行い、そして、(選挙に)敗北した。トルコの民族主義に対し、「ヘレニズム」思想に多くのチャンスは残されていなかった。

■ アンドニス・カルカヤニス(新聞記者・作家):
ヴェニゼロスが選挙に負けた後、権力の座についた王権主義者たちが、1920年以降も軍に「進軍せよ」と命令したことは、愚の骨頂だった。

■ ヤニス・パンデリディス(アメリカ在住の大学教員):
イアンニス・メタクサス将軍は、1920年にギリシャ政府に対し、ムスタファ・ケマルと和解すること、ギリシャ軍が直ちに後退することを進言した。しかし政府は、彼の言葉に耳を貸さず、逆に、ギリシャ軍のアナトリア進軍の為に、彼に総司令官になるよう打診した。

■ 読者の意見 「イズミルとイスタンブルを交換すべきだった」

● ニコラス「エーゲ海沿岸地域には、ギリシャ系住民がいたのだから、そこまではわかる。ギリシャ系住民の人口が多くないアナトリアの深くまで進軍したのはなぜなのか。」

● タソス・モライティス「イスタンブル占領が不可能だったことから考えれば、イズミル(占領)は良い目標だった。だが、その後は間違いだった。」

● コンスタンティノス「ギリシャ軍がアナトリアのギリシャ系住民を救うために戦争を行ったというのは大嘘だ。そこにあったのは、帝国主義とメガロ思想だ。」

● 「冷静な人」という匿名の読者「イズミルを占領した後、ムスタファ・ケマルと交渉のテーブルにつき、エーゲ海沿岸について、トラキア東部・イスタンブルのヨーロッパ側を交換する取引きを行うべきだった。」

● コンスタンティノスB「"小アジアの惨事"についてトルコ人を責めることはできない。彼らは祖国の為に戦ったのだから。」

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( 翻訳者:杉田直子 )
( 記事ID:16462 )