ビルゲ村44人殺傷事件の複雑な背景、次第に明らかに
2009年05月20日付 Milliyet 紙

マルディンのマズダー県ビルゲ村で44人が殺害された襲撃事件の真相解明のため、裁判所の以前の記録が調査されている。逮捕された容疑者のうち2人と元村長を含む死者のうちの7人、合計9人の容疑者が、ボタシュ社に属するパイプラインから原油を盗んだことにより告発されていたことが明らかになった。さらに逮捕者のうちチェレビ一家の1人がボタシュ社に賠償訴訟を起こしていたことも判明した。さらに虐殺の2週間前、村の土地の登記に関する手続きが行われ、そのとき両者の間でいざこざがあったこともわかった。

マズダー県ビルゲ村で5月4日の晩、結婚式の家で発生した44人の殺害、3人の負傷の襲撃事件に関し、マルディン共和国検察庁による調査の範囲は拡大された。捜査では、逮捕された11人に関し広範囲な捜査が行われている。検察庁は現在ガズィアンテプの刑務所に拘留中の容疑者たちが実行したとみられているこの虐殺の真の理由を調査しており、捜査の基礎資料となる情報と文書を入手するためマズダーとマルディンの両刑罰裁判所と書簡を交換した。事件の詳細を解明するため、容疑者と殺害された者の間の過去の敵意からの訴訟合戦に関する文書を捜査の範囲に加えることとなり、その提出が所管の裁判所に要求された。

■ボタシュ社に対し自分の土地を汚染したという訴訟

捜査では、虐殺がボタシュ社に属する石油パイプが原因となった可能性に注目している。虐殺に関し今日まで様々な憶測が流れているが、この村の2500ドニュム(約250万平方メートル)の土地を通っているボタシュ社の石油パイプに関して、殺人者と殺害された者たちの間に6年前に協力関係が結ばれていたことがわかった。

安全のため1993年に移住した人々の土地を手に入れたチェレビ一家の自警兵がこの土地を利用していたこと、村の土地のさまざまな箇所でボタシュ社の石油パイプが通っていること、44人が死んだ事件で逮捕されたメフメト・サイト・チェレビが6年前ボタシュ社の社長に対し、マズダー第一審裁判所に、2003/4番づけで、18,000リラ(約110万円)相当の金銭的・精神的賠償訴訟を起こしたことが明らかになった。メフメト・サイト・チェレビはボタシュ社のパイプに穴があき、45ドニュム(45,000平方メートル)の土地に原油が流れ、その後火事が起き、その結果彼のポプラと樫の木が燃えて灰になり、同地で必要な措置を取っていなかったとして、ボタシュ社に対し損害補償を請求した。
マズダー第一審裁判所は事件現場へ赴き調査し、その後専門家にも調査を行わせた。専門家グループはメフメト・サイト・チェレビに18,000リラの損害があったと確認した。

■ ボタシュ社「土地は彼のものではない、彼は石油を盗んでいる」

ボタシュ社の社長はというと、裁判所に書面で答弁書を送り、土地の所有者であると主張するメフメト・サイト・チェレビが、実は問題の土地の所有者ではないこと、この土地の土地登記は行われておらず、そのため事件に関するボタシュ社側の落ち度はないと述べた。ボタシュ社は文書の中で、逆に、メフメト・サイト・チェレビを含む9人が石油パイプに穴を開けて原油を盗み、事件現場から逃げる際に穴の開いた石油パイプから土地に石油が流れ出たのだとし、賠償請求は根拠がないと述べた。

裁判所はというと、賠償請求をしているメフメト・サイト・チェレビが損害の補償を受けるためには、まず損害を確認しようとする土地が彼の名のもとに登記されていることが必要であると決定し、土地登記のための訴訟を起こすようチェレビに要求した。チェレビはというと、このようなことは不可能であると述べ、土地登記のための訴訟を起こすことを受け入れなかった。調査では賠償請求されている土地はチェレビという苗字をもつものの、村から移住して離れ、その後2001年に村へ戻ってきた近親者に属するものであると確定された。ボタシュ社に対して開かれた賠償請求訴訟の2009年5月12日に行われた審理には、メフメト・サイト・チェレビは拘留中のため参加せず、判決は下されなかった。

■ビルゲ村の自警兵に対し石油窃盗訴訟

ボタシュ社は、メフメト・サイト・チェレビを含む自警兵を原油を盗んだ疑いでマズダー検察庁に告訴した。ボタシュ社は、頻繁に原油が盗まれていた地域では、ビルゲ村出身の自警兵が任務についており、このため、ここへ一般市民が来て窃盗を働くことは不可能であること、1回だけではなく何回も起こったこの事件は、自警兵による石油パイプに穴を開けての窃盗だったとしている。

これを受け、殺された44人の一人、元村長であり自警兵のトップであったジェミル・チェレビと虐殺の後逮捕された自警兵のメフメト・サイト・チェレビ、アブデュルカーディル・チェレビ、(逮捕者には入っていないその他の自警兵である)オスマン・アチャル、ハリル・オルネキ、オクタイ・タグル、ハリル・オルネキ、ヴェイスィ・バダイ、ヴェダト・アマクについてマズダー第一審裁判所は「石油パイプラインから原油を盗んだ」罪で基本番号2004/215番、決定番号2005/183番の訴えを認めた。

容疑者たちの関わる4つの別々の石油窃盗訴訟があり、ボタシュ社の告訴による訴訟は (同じ案件での)追加訴訟であるため、9人の容疑者は2005年7月7日に保釈され、この保釈の決定は最高裁判所第6刑罰部門により認められていたことが明らかとなった。

■学校の校庭に違法タンクローリー

9人の容疑者に関する裁判所の罪状認定によると、容疑者らはヴァンにつんだ溶接機を使って石油パイプに穴を開け原油をタンクローリーに抜き取り、その後、ジェミル・チェレビのマス養殖場で落ち会い、容疑者のヴェイスィ・バダイが石油精製所の所有者であるため、石油はここで精製され市場で売られていたとされている。罪状認定では、容疑者のハリル・オルネキは、この盗みから得た収入で自動車屋を開き、盗みが行われている間、タンクローリーはアブデュルカーディル・チェレビが運転し、タンクローリーはその後ビルゲ村小学校の校庭で、19,420キロの原油を積んだ状態で見つかったとされている。

罪状認定では、タンクローリーはボタシュ社本社に移送されたこと、ボタシュ社のパイプから盗みが行われた土地で火事が起こったこと、さらに、ジェミリ・チェレビが魚養殖場の所有者であったことが明らかにされ、「容疑者らはこの養殖場に集まり相談をしていたとの疑いがもたれている。容疑者が告訴されたこの事件は、裁判所で現在、続いているボタシュ社の石油パイプからの原油窃盗事件と同一である。容疑者らは他の盗みに関する他の捜査でも容疑者であるが、この事件で罪を犯したという証拠はなく、(一方的に罪を犯したと)考えることは、犯人不明の犯罪は常に別の事件の犯人がやったとする結論に睦びつけることになるがゆえ、それが法にそぐわない結果を生むことは明らかである」と述べ、釈放を決定したとされている。

■すべての事件にメフメト・サイト・チェレビが関わっている

一方、虐殺の2週間前に、これまで個人的に利用され、 (法的な正式の所有者が存在しないために)実質的な所有者によって占有されていた土地の登記のため、村で地籍登録作業が行われ、このとき、虐殺の容疑者のうちメフメト・サイト・チェレビとアブデュルカーディル・チェレビが作業を妨害し、土地登記に際し、より多くの土地を自分の名前で登録するため、同じ苗字の近親の者たちを圧力をかけ、近親の者たちはというとこの件に関して前者2人を警察に告発していたことがわかった。

■軍警察司令官に対し弁護士を雇った

また、2001年には、ビルゲ村から4キロのところにあるスルタン村の軍警察指令部に勤めていた下士官H.Gがビルゲ村で村人たちが行った牛や羊の家畜売買から手数料を取り、賄賂を渡さなかった家畜トラックには通行許可を与えなかったという事件もあった。チェレビ一家のうちの一人がマルディン共和国検察庁に行った告発をうけ、軍警察司令官のH.Gは「賄賂を受け取った」として捕まり、刑務所へ入れられた。
 マルディン第2重罪刑罰裁判所で訴訟が起こされ4ヶ月間拘留されていた当該軍警察司令官のために、虐殺の容疑者で自警兵のメフメト・サイト・チェレビが弁護士を雇い、弁護費用と代理人費用のすべてを彼が自腹で払い、その後司令官は釈放され、他の場所へ任命されていたことが明らかにされた。

■すべての違法行為がこのファイルに収められた

メフメト・サイト・チェレビと共に逮捕された他の容疑者らがここ10年間でビルゲ村で行った違法行為に関するすべての裁判所の決定と告発に関する書類は、承認済みの写しとともに、44人殺害事件の捜査ファイルに収められた。これから開かれる訴訟はこれにより進められる。一方、捜査を行っているマルディン共和国検察庁が告訴をし、起訴状を準備した後、本件は殺人事件を扱う権限をもつマルディン第2重罪裁判所が担当するが、当該訴訟は、法に従い、安全の確保という理由によりマルディンから少なくとも550キロ離れたところにある都市に移されることになるとされている。

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( 翻訳者:釘田遼香 )
( 記事ID:16500 )