快挙!ベシクタシュ監督ムスタファ・デニズリ
2009年05月30日付 Hurriyet 紙

ベシクタシュはアウェイゲームでデニズリスポルを2-1で下して6年ぶりに優勝し、ベシクタシュのムスタファ・デニズリ監督は歴史にその名を刻んだ。

イズミル出身のデニズリ監督は、ベシクタシュを優勝に導いた初のトルコ人監督となり、ガラタサライ、フェネルバフチェに次いでベシクタシュでも勝利を手にし、(この3チームを優勝に導くという)特別なことを始めて達成するという偉業に名を残すこととなった。
試合後、デニズリ監督はあまりの感動に嬉し涙を止められず、マイクを差し出すリーグテレビのレポーターに頼み、インタビューを断った。

■デニズリ氏の大きな功績

経験豊富なデニズリ監督は、ベシクタシュを19年ぶりにスーパーリーグとトルコカップの両方の優勝に導くという大きな功績を手にした。更に、ムスタファ・デニズリ監督は、ベシクタシュを優勝させた初のトルコ人監督となった。

■ムスタファ・デニズリ監督は辛い思いを心にしまった

スーパーリーグ2008-2009シーズンを優勝で締めくくったベシクタシュの選手達は、更衣室を祭りの場にし、「優勝、ベシクタシュ」のフレーズを周囲に響かせた。
ベシクタシュの選手達はムスタファ・デニズリ監督を胴上げし、更衣室に来たユルドゥルム・デミロレン会長を「偉大なる会長!」と言って手拍子をしながら迎えた。選手達は2008-2009シーズンを二冠で締めくくったことを誇りをもって祝った。

ムスタファ・デニズリ監督はデニズリの地で歴史に名を刻んだ一方、辛い思いを心にしまった。昨年5月30日にガン治療を受けていた兄、イスマイル・デニズリ氏を亡くしたムスタファ・デニズリ監督は、「昨年から疲れが残っています。5月30日は兄の命日です。私がベシクタシュのサポーターになった大きな理由のうちのひとつは兄でした。本当に辛いことです。」と話し、その辛い思いを口にした。

ムスタファ・デニズリ監督は、リーグで優勝したことは本当に重要な出来事であり、大きな喜びを感じていると強調し、この優勝を、海外に住む娘達と、ユルドゥルム・デミロレン会長の夫人レヴナ氏へ贈りたいと述べた。デニズリ監督は、ベシクタシュと契約した日、デミロレン夫人が「私たちは優勝するかしら?」と聞き、それに対して「優勝します」と答えたことを明らかにし、「その後チームは6位にまで落ちました。ある日夫人とばったり会ったときに彼女が私に向けたまなざしが、心に残りました。約束を守ることができてとても嬉しいです。私がベシクタシュで監督をした8ヶ月間、皆が非常な自制心をもって取り組みました。私は4歳のころからベシクタシュのサポーターです。ベシクタシュのサポーターになるためには、必ずしもチームの一員である必要はないのです。今シーズンを二冠という成績で終えることができて本当に幸せです」と話した。

ムスタファ・デニズリ監督は、イブラヒム・ウズルメズに対してした大きなジェスチャーについて、「イブラヒムはベシクタシュにおけるその過去の功績から、こうされるに充分値します」と述べた。

■デミロレン氏はイペキ氏に謝罪

スコアを2-0にしたイブラヒム・トラマンのゴールの後、嬉しさのあまり特別席で飛び跳ねるベシクタシュの経営陣夫人と喜びを分かち合うベシクタシュのユルドゥルム・デミロレン会長は、デニズリ・スポルのアリ・イペキ会長に謝まった。
ベシクタシュの会長になって初めてリーグ優勝を手にしたデミロレン会長は、フィールドでの優勝行進の後、更衣室に行って選手達ひとりひとりを讃えた。

■ウズルメズ:「信じていた」

試合開始後78分、イブラヒム・ウズルメズがセルダル・オズカンに替わってピッチに入るとき、ムスタファ・デニズリ監督が、ギョクハン・ザンからキャプテン・マークを取りウズルメズの腕に付けた。そのウズルメズは、優勝がベシクタシュグループに幸運をもたらすことを願った。「そもそも我々は優勝するといつも信じていました。監督達に恥をかかせないですみました」と話すイブラヒム・ウズルメズは、ムスタファ・デニズリ監督に何度も感謝の言葉を述べた。

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( 翻訳者:津久井優 )
( 記事ID:16570 )