コラム:レバノン南部解放から9年、遅れる復興
2009年05月27日付 Al-Nahar 紙

■ 「解放9年後のレバノン南部の現状」(2回連載、第1回)
■ 国境地域を当局が長期にわたって放置、移住が増加
■ ナイーム・カースィム・ヒズブッラー副書記長:「レバノンには抵抗運動の選択が根づくことを望まない者がいる」

2009年05月27日付アル=ナハール紙(レバノン)HP論説面

【アッバース・アル=サッバーグ(本紙)】

「南部について喋り尽くして、詩はもうネタ切れ。南部のためにと声を張り上げ、激昂して演壇を壊しまくり。殉教者が減ったわけでもなく、増えたわけでもない。南部の人間が立ちつづけているとすれば、南部の子どもたちによって立ちつづけているんだ。今日声高に喋っているのは、死んだ人々とは別の連中さ」

 ズィヤード・アル=ラフバーニーの歌である。誰かを非難するのではなく、記憶に訴えかける歌だ。

 本稿は2部構成である。[レバノン南部]解放から9年を経て、抵抗運動を担った諸政党は何を語るのか。抵抗運動は如何にして主導権を掌握し、イスラエル当局幹部とその協力者らを掃討することができたのか。イスラーム抵抗運動の幹部に聞いた。

 解放から9年、南部は貧窮から解き放たれておらず、2000年5月25日の朝から国内に押し寄せた様々な変化にもかかわらず、均衡の取れた経済開発の恩恵は、南部には行き届いていない。

 南部が過去10年間、ナビーフ・ビッリー国会議長直々の、あるいは南部評議会を通しての関心を得てきたことは事実である。1960年代、故フアード・シハーブ元大統領の時代のIRFED報告以来、公式の呼称として定着した「貧窮地域」の状態と比べて、画期的な変化が起こっている。

 しかし、道路の開通や学校の建設が貧窮状況の改善の基準ではない。学校には通学してくる生徒が必要なのである。そのことを可能にするためには、南部の住民は村に住みつづけるための収入源を探さなければならない。道路も、そこを通って辿り着く場所が殆ど無人地帯ではしようがないのだ。今日の国境地域はそんな状態だ。この地域には約30万人の住民が暮らしているが、ビント・ジュバイル郡には5万人しか残っていない。この国境地帯の町を訪れた者は、2000年以降は「解放の都」となり、2006年7月のイスラエル軍侵攻後はさらに新たな形容を付されることになったビント・ジュバイルの地位にも拘わらず、住民5万人のうち数千人だけしか困窮に耐え得なかったことを容易に知るであろう。ビント・ジュバイル郡のキリスト教徒の村々の現状も、シーア派やスンナ派の村々の状態と大して違わない。アイン・イビルやディビルでは殆どの住民が他地域へ移住した。ルマイシュは唯一住民の数の多さにおいて他の村と異なるが、そのいくつかの理由のうち最も重要なのはおそらく、住民が煙草栽培に従事しており、この農業には1年中にわたる継続的な作業が必要だということであろう。

 アイナーターには元々1万5千人の人口のうち千人足らずしか残っていない。アイトゥルーン、マールーン・アル=ラアスやクーニーンその他でも同様である。

 これらの現状が示すであろうことは、解放後の国境地域における労働機会の不足、そしてこれらの国境地域の村々に対する投資家らの熱意のなさに他ならない。その最大の理由はおそらく、旧境界線地帯においてイスラエルが常に脅威を及ぼしているという安全保障上の理由であろう。また、歴代政権が公約の履行を怠ってきたということもある。そうした公約のうちで最も主要なものは、2000年5月のビント・ジュバイル公立高校における有名な会合での決定事項である。また国民議会でも占領の被害者らに補償金を支払うことを定めた法律が制定されたが、これらの決定事項や法律のいずれも未だに実行されていない。また、2006年7月の戦争以降は補償金が受け取れなくなっているため、南部住民の苦境は一層深刻化している。補償金の支払いの停止の後、野党と政府の間で繰り広げられた激しい論争には誰もが記憶しているところである。

(中略)

■ カースィム副書記長:「解放は国民全体の問題」

 ヒズブッラーのナイーム・カースィム副書記長は、「レバノンは南部において、領土全体の10%をイスラエルの大規模な占領の下に置かれていた。2000年5月25日に解放がなされたが、それはあらゆる宗派や村の人々が住むレバノン領土の解放であった。南部住民の特質がどうであれ、この土地はレバノンの一部であり、2000年の解放は、イスラーム抵抗運動が先頭に立って実現したものであっても、まさしくレバノン全体の解放なのである」との見解を示している。

(中略)

 南部に対する当局の放置についてカースィム氏は、「残念なことに、均衡の取れた開発と言うと、予算配分にあたって宗派や宗教、地域ごとの思惑が前面に出てきて、一部の地域が歴史的に軽視されてきたことが考慮に入れられない。その筆頭が、22年間にわたって国家の支援を得られないでいる解放された国境地帯である。したがって、特別の立法や例外的予算、国外からの援助が必要だ。それらにおいては、リタニ計画のように生活関わる計画を考慮することが必要であり、住民が彼らの土地に残り、復興に貢献することを可能にする経済開発計画が必要である。我々は今後、この方向で真剣に取り組む意向である。

(後略)

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( 翻訳者:平川大地 )
( 記事ID:16717 )