歴史家ケマル・カルパトに、「トルコ国民議会栄誉賞」
2009年06月25日付 Zaman 紙

 歴史家のケマル・カルパト教授は、「トルコ国民議会(TMBB)栄誉賞」が自身に授与されたことに大変驚きそして喜んだとし、「今まで数々の賞を受けましたがこのTBMMの賞はそのどれよりも貴重です」と話した。

 TBMM議長府執行部会によって「TBMM栄誉賞」を授与されるにふさわしいとされたケマル・カルパト氏は、アカトラルにある自宅でアナトリア通信のインタビューに答えた。

 カルパト氏は、昨日脊柱管狭窄の手術を受け、今日退院した。彼は「ちょっとした偶然です。何年も前からうけるのが必要な治療でした。脊柱管狭窄..。昨日手術を受け、今日退院しました。ある点では重要で、ある点では重要でない手術ですが…。しかし、結果として疲労と痛みを感じるものでした」と話した。

 彼は、「TBMM栄誉賞が自分に授与されたと聞いて、とても驚き、喜びました。賞と聞いて嬉しくなり、元気になりました。そして、あなた方と話すための力がわいてきました。それもアナトリア通信の取材ですから…」と気持ちを表現した。

 カルパト氏は、この受賞を「名誉な出来事」だと思っており、「今まで数々の賞を受けましたがこのTBMMの賞はそのどれよりも重要で貴重です」と話した。

 彼は、研究のメインテーマが「トルコ」であるため、この賞がTBMM側から授与されたことを誇りに思い、また喜ばしく思うとし、「誇り、誰もが表彰されるとそれを誇りに思います。しかし、喜びというと、これは全く別物です。本当に幸せです」と語った。

■ 「私のことをまず西洋が認め、理解を示した」

 歴史家のケマル・カルパト教授は、自身をまず西洋が認め、理解を示し、トルコではここ15~20年の間に自身の作品がよりよく評価され、理解されているとし、「私の考えでは、結局人は皆当然得るべきものを手にし、自分のしたことの対価を得るのです。時には早く、時には遅く」と言った。

 TBMM議長府執行部会によって「TBMM栄誉賞」を授与されるにふさわしいとされたケマル・カルパト氏は、アカトラルにある自宅でアナトリア通信のインタビューに答えた。

 彼は、研究の9割がトルコとオスマン史についてであると述べ、オスマン朝とトルコをただ歴史の点から調査したわけではなく、社会学、経済学、そして文化の点から調べたと説いた。

 そして、オスマン朝の末期における変化と現代トルコの出現を、こうした諸学中で取り上げ調査し、理解しようと努めたとし、次のように続けた。

 「とりわけ、取り掛かり始めたばかりの頃は誰も私を理解してくれませんでした。逆に『このようなアプローチをしてもいいのか』、『このような考えは何なのだ』、『こうした意見は誰も賛成しない。この人は独りよがりで何か言いたがっているが、誰が信じるだろうか』と言われていました。でも、段々と私の書いたものや私の発言が正しいことが判明しました。そのうち、私の考えが理解され、このように学会で自分の地位が出来上がったのです。」

 カルパト氏は、自身をまず西洋が認め、理解を示したと話し、ヨーロッパ諸国とアメリカが彼の著作物を手にし、更にある本がアメリカの大学で教科書として使われたと話した。

 彼は、更に「トルコでここ15-20年の間に自身の作品がよりよく評価され、理解されている」と話し、彼の本の大半が英語で書かれた後、トルコ語に翻訳されたと話した。そして、本がトルコ語に翻訳されるために、何度も申し出を受けたことにも触れ、「要は、トルコはこの20-25年の間に新しい展開と考えをもつに至った。以前には存在せず、言われていなかった、そして考えられていなかったことが、口にされ、考えられ始めた。このようにして、私の書いたものと今日のトルコ的な考えがお互いに近づいたのです」と話した。

■ 「30年後、トルコ語に翻訳された」

 カルパト教授は、自身がトルコとオスマン朝を新たな観点で書き表したのみでなく、4000-5000の会員を擁する、世界で中東研究の授業をしている教員達を1つにまとめた中東研究会の設立者となり、トルコ研究協会を設立し、そして3年間会長職についていたと説明した。

 カルパト氏は、「全ての目的はトルコとオスマン朝についての研究を発展させ、説明し、それらの価値をあらゆる人に伝えることです」と話した。

 彼は、『オスマン朝の世界史における位置と近代化における役割』という名の本にも言及し、次のように述べた。

 「この本は私が組織した会議で提出された報告からなっている。有名な歴史家達が、オスマン朝の世界史における位置を確かめた。この本はオランダで出版され、好評だった。しかしこの本は最初に英語で出版されてから30年後、ようやくトルコ語に翻訳された。私にとってこのテーマは重要なテーマである。なぜなら、その当時までオスマン朝を、近代化や近代世界に含まないとする見解が支配的だったからだ。我々はこれに対して反対のことを主張した。この本では、オスマン朝が近代ヨーロッパの成立にどのような影響を与えたか、14世紀から20世紀までの(時期の)諸事例を示して説明している。このように我々はオスマン朝とトルコを世界史の枠外においてではなく、その中で示そうと努力し、それを成し遂げた。私はこのような多くの研究をなし、会議を催した。多くの国々で200回ほど発表した。いつもこのテーマについて(発表し)、ついには価値が分かる人々は気づいたのです」と話した。

(後略)

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( 翻訳者:百合野愛 )
( 記事ID:16790 )