友好へと進む路はここから:トルコ・ギリシャ両国の友好協会ダフネ
2009年06月28日付 Yeni Safak 紙
トルコ、ギリシャ間の友好関係を強くするために尽力する二つの協会、デフネとダフネ。トルコ・ギリシャ友好フェスティバルにおいて、最初にギリシャのカヴァラ、その後にカッパドキアで開催された活動で、両岸を一つにする隣国同士の笑い声が(二国間の)障害を打ち壊した。
(トルコ側の)デフネ協会と(ギリシャ側の)ダフネ協会の伝統行事の今年の開催地は、カヴァラとカッパドキアとなった。トルコとギリシャから芸術家、学者、作家、事業家そして新聞記者らが参加したこのフェスティバルのテーマは「融合」であった。4日間続いたフェスティバルでは、パネルディスカッション、展示、コンサート、ダンスショーによって、「親友」関係はまた深められた。トルコとギリシャに加えて、ヨーロッパ連合(EU)とも関係を発展させるため組織された、初の市民団体であるデフネが平和の旅を実現させた第8回のフェスティバルが、6月12日にカヴァラで開始した。テオドロス・カリオンズィス知事は、カヴァラ海岸でフェスティバルの屋外講演を行い、(今まで)両協会が口にすることの出来なかったある事実を会場(の人々)へ言い放った。氏は、住民交換でカッパドキアからカヴァラへ多くの人々が移住したこと、自身の祖先もカッパドキアへ至ることを述べ、国家が何をしようと、両国の市民と地方行政が持っている互いへの親近感、友愛そして協力関係が続くと述べた。
■ 二つの陸地が一つに
フェスティバルはオスマン・カヴァラにとって、もっと他の意味も持っている。祖先はその土地のあたりで生活し、商売をしていたが、住民交換のためにトルコへ移住したという。オスマン・カヴァラは、自らの父祖の今日的名前なのである。
■ 永きに亘る記念に
コンサートの後に、「これから、この友好のコーヒーを飲みましょう」と言う声でもって、カッパドキアとカヴァラの粉コーヒーが混ぜ合わされ、海岸で組み立てられたコンロの上で、参加者が持ってきたポット(ジェズベ)によって(コーヒーが)準備された。コーヒーをつくるポットは、芸術作品にもなった。カヴァラ県庁の庭では、友好の継続の証として、参加者たちの手によって固まる前のコンクリート地に数十のポットが(記念オブジェとして)並べられた。
■ 平和の列車は、親友と兄弟を乗せて
カヴァラの後、イスタンブルへ戻ったフェスティバル委員会は、ハイダルパシャ駅から「平和の列車」でカッパドキアへと向かった。
フェスティバルのトルコ部門は、6月15日にネヴシェヒルのギョレメ町の広場で行われたパネルディスカッションによって始められた。デフネ協会のギリシャ側の協会長であるコスタス・ソフリス博士の司会で進められたパネルディスカッションでは、ヤルム・エルラップ氏、カテリーナ・パパテウ博士、イオアニス・グレゴリアディス氏、そしてエニス・ルザー氏が参加し討論を行った。パネルの後には、アヴァノス・ウラノスの地下テーマパークでトルコの夕べが催された。
■ 私たちは、二つに割れた梨のようである
フェスティバルの最終日ではまず、ムスタファ・パシャ村(別名シナソス)料理アカデミーで、トルコ、ギリシャ、アルメニア料理から成る親善会食が行われた。料理の後、ギリシャ人彫刻家アドニス・クツィバス氏とトルコ人彫刻家のエルトゥー・アトル氏が、ガリップ・コルクチュのアトリエで制作した彫刻を公開した。カッパドキア文化芸術センターの庭園では、ネヴシェヒルの石から成る土台の上に置かれた、クズルルマック(川)の泥からつくられた彫刻が、ネヴシェヒル市助役のジャフェル・オクル氏、ギュンドゥズ・ヴァッサフ氏、そしてソフリス博士の手によって一緒に公開された。ギュンドゥズ・ヴァッサフ氏は、根が互いに絡み合った二本の木、そして真中で割れた一個の梨を一つにする複数の手で融合を表すこの彫刻が、戦争のない暮らしへの希望を意味していると語った。
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( 翻訳者:西山愛実 )
( 記事ID:16822 )