マルマライ工事の全容―ウスキュダル駅まであと一歩
2009年07月03日付 Zaman 紙

2004年に着工したマルマライ工事、当初は2009年に完成予定と言われていたが、発掘地区から歴史的遺物が次々と出土し、計画は遅れている。しかし、このマルマライ・プロジェクトにも、やっと光がみえてきた。ヨーロッパとアジアを結ぶマルマライは、あと一歩でウスキュダルに到達する。

マルマライは今のところ2012年完成予定となっているが、2013年まで延長される見通しだ。今回本誌記者はこのマルマライの中で15日間を過ごし、取材した。作業現場を見学し、ボスフォラス海峡の海底60mに設置されたトンネルを歩いて渡った。プロジェクトの全区域を回り、このプロジェクトを成功裏にすすめているトルコと日本の技術者や労働者の人々、そして知られざるマルマライの物語に耳を傾けた。

■マルマライ工事の全貌

海峡を海底トンネルで結ぶ計画は、オスマン帝国時代からの悲願であった。スルタン・アブデュルメジトの時代、フランス人画家、S. Preaultによって、海に架橋をつくる計画がたてられたが、これらの夢は実現しなかった-そう、2004年8月までは。この日、トルコの、実に144年にも及ぶ望みがかない、すばらしきプロジェクトとして結実した。名称はタイイプ・エルドアン首相の賛同で「マルマライ」に決定した。アジアとヨーロッパの二大陸をイスタンブルの海峡の海底トンネルで結ぶこのプロジェクトは長く待つだけの価値のあるものだった。世界でもっとも深い海底トンネルと、共和国の歴史上もっとも高額のプロジェクトを実現する驚くべき技術に、人々の目は注がれた。

プロジェクトは音もなく静かに始まった。トルコと日本の技術者・労働者からなる約1000人のチームは、アジアとヨーロッパの両大陸を結ぶ巨大な「マルマライ工場」を海峡両側の2箇所に立ち上げた。深さ80mの場所で掘削が行われ、地下道が作られた。そこには何トンものコンクリートが流し込まれ、何キロにもわたるコードが取り付けられた。しかし、イスタンブル、そして世界の歴史を塗り替えるような何千年にも及ぶ歴史的遺構が見つかった考古学的発掘が、チームの作業を減速させた。2009年の予定だったプロジェクトの完成は2012年に延びた。(中略)

■イェニカプでは発掘が終了、イスタンブルの歴史は8000年前まで遡る

4世紀のテオドシウス1世が作らせたテオドシウス港。最初の発掘がイェニカプで始まった際、その遺構が見つかるなど、誰も予想していなかった。発掘が進むにつれ、地下からは歴史が噴き出した。マルマライの工事が4,5年延長される原因なったイェニカプからの吉報は、6月15日に報じられた。駅地区での発掘作業は終了した。鉄道・港湾・空港建設公団イスタンブル地区局長のハルク・オズメン氏は、「今日までプロジェクトを遅らせていたイェニカプでの考古学的発掘作業は終了しました。工事は急ピッチで続けられます」と述べ、吉報を知らせた。トンネス掘削機(TBM)立ち上げのプロジェクトリーダーであるイマイシ・タケシ氏は、イェニカプの工事予定を次のように語った。「TBMという、トンネルを掘る機械の設置を2009年9月2~3日に始め、2010年の3月から実際に掘り始めます。来年11月にはスィルケジに到達するでしょう。」イマイシ氏は、計画通りに進めば、2011年5月には海峡は問題なく通れるようになると話してくれた。

■スィルケジで作業は遅れている

マルマライ・プロジェクトの進行が遅れている最も大きな要因とされていたイェニカプでの発掘が終わろうとしていたその矢先、今度はスィルケジの発掘現場で危険信号が点灯し始めた。ビザンツ時代の壁や円柱が見つかった東西のシャフト掘削現場での発掘は終了。歴史的価値のある遺構については、3次元の図面が作成され、埋蔵文化財協会へ送られた。協会は後日、第一級登録遺跡として認定された構造物を現場で保存するかどうかの決定を行う。ハルク・オズメン氏は、歴史的建造物について「移転させるべきだ」という。しかし作業現場の南・北地区の発見から、「考古学的発掘でのイェニカプの称号は、スィルケジがもらうことになる」という言葉が、技術者の間でささやかれるようになった。埋蔵文化財協会がスィルケジで歴史的遺物の発掘を決定したことを受け、南地区では今月半ばに考古学的発掘が始まった。発掘終了には、少なくとも2年はかかる予定だ。

■考古学公園がつくられ、トルコ鉄道の駅は消えた

マルマライ・プロジェクトの遅延の最大の原因であるイェニカプ駅で見つかった遺跡は、トルコ国営鉄道の駅を消す結果となった。何千年の歴史をもつ建造物の遺跡、ビザンツの城壁、様ざまな建物や教会のあと、密集した住居址、下水、秘密の通路、墓室などが発見された。イスタンブル文化自然保全協会は、この遺跡をこの場所で保存する決定をした。考古学博物館局長のゼイネプ・クズルタン氏は、将来、マルマライ・プロジェクトが終わりに近づいたら、この場所は考古学公園として整備される予定であるとしている。

■10月には、イェディクレ住民に仮住まいが与えられる

イェディクレからイェニカプ駅までのトンネルを掘る掘削機の進路の地上にある住宅は、どれも古く、振動に耐えられないかもしれないという理由で、1年半に渡り工事の開始が遅れた。このため、運輸省とマルマライ請負企業の間で責任問題が続いている。工事関係者は、トンネルを掘る掘削機を毎日1時間半稼動させてさびるのを防いでいる状態だ。住宅問題が長引いたことは、プロジェクトの変更を余儀なくさせた。トンネルの進路を15メートル、海側にずらした。倒壊の危険のある家525軒のうち300軒はこれにより保護された。残りの225軒をどうするかは、現在なお議論されている。先月、この問題を早急に解決するため、全関係者の参加する会議が開かれ、そこでの結論は希望をもたせるものだった。ハルク・エムレ氏は、この集まりでの決定に従い10月には、イェディクレでのトンネル掘削作業が始められるだろうと述べている。

■駅博物館にはレプリカ、本物はユズ・アダで展示

考古学発掘がマルマライ・プロジェクトにもたらしたもう一つの変化は、博物館の建設だ。イェニカプ駅が博物館になるという情報は誤っていると語る建築家のギュレル・イルバイ氏は、駅には、そこでの発掘で出土した遺跡のコピーやレプリカが展示され、オリジナルは「ユズ・アダ」と呼ばれている場所に建設される予定の博物館におかれることになるという。

■最初に完成するのはウスキュダル駅の予定

マルマライ・プロジェクトの中で最初に完成する駅は、ウスキュダルになる予定だ。トンネル・チューブを沈める作業が最初に行われたウスキュダルでも考古学の発掘調査のために遅れがでたが、この発掘も2008年の9月に終了した。現在は、13世紀の礼拝所(チャペル)の遺構について埋蔵文化財協会の決定を待っている。もしイスタンブル水道局が協会を説得できれば、礼拝所は移転される。逆の場合、遺構の上がガラスで覆われ、博物館のような形にされる。これについての議論がなされている一方で、2日前(7月1日)にアイルルクチェシュメ駅での発掘調査で、歴史的なモスクが見つかった。プロジェクト・メンバーの間では、このモスク跡を動かせるかどうかにかかわらず、鉄道の進路の変更は不可能だという見方が支配的である。

■ウスキュダル駅にはショッピングセンターも

変更や問題点はさておき、ウスキュダル駅の完に向けて他の作業も急ピッチで進められている。大成建設トンネル掘削チームのイマイシ・タケシ氏は、ウスキュダルに向かっているヤヴズという名前のトンネル掘削機が2010年1月にウシュクダルに到着すると語る。アタテュルクと命名されたトンネル掘削機は2010年4月に到達予定。それ以降、駅には歩道と緊急時の脱出用通路が建設される予定だ。全体の構想とデザインに関する作業も始まる。市当局はウスキュダル駅の上にショッピングセンターを設置する計画を打ち出している。

■プロジェクトの最も難しい部分は最初に終了

マルマライ・プロジェクトの中で、技術面で最も難しい部分は、ボスフォラスの海底60mで、エミニョニュ-ウスキュダル間のトンネル同士を結びつけることだった。考古学的発掘が終わらないほかの駅とは対照的に、プロジェクトの最も難しい部分は、事前に計画した通りの日程で終了した。トンネルを設置する際の様子を、担当部長のナカツカ・ケンジ氏から聞いた。「まず海底に溝が掘られました。トゥズラの施設にある空のプールで11のトンネル・チューブの部品が組み立てられました。トンネルの耐震性が最も重要な課題でした。ですから460mの距離に対し、2770箇所の穴を開け、そこからコンクリートを流し込んで、海底部分を補強しました。防水や耐水性のテストも行いました。ボスフォラスの海の流れが逆で、北風や南風も吹いたので、一分一分の単位で、その日の気象条件が合うのを待ちました。ついにその時が着て、最初のトンネル・チューブが、8時間かけてボスフォラスの海底に設置されました。」非常に高度なトンネル・チューブ敷設の作業は2008年に終了した。トンネル同士の接続の後は、防水のためにトンネルの床にコンクリートと充填剤が入れられた。震度7.5の地震にも耐えられるよう設計されたトンネルでは、船の碇や沈没に対しても対策を取っている。トンネル・チューブの上には石のブロックを設置された。スィルケジとウスキュダルから進んでくるトンネル掘削の機械によって結ばれる日を待っているトンネル・チューブの中では、現在は非常出口と歩行通路の建設が進んでいる。(中略)

■工事の遅れによる損害は5億ドル(462億7千万円)

考古学の発掘調査のためプロジェクトは遅れ、工事費に影響が出ていることは間違いない。大成建設はマルマライ・プロジェクト第一段階工事の遅れの損害は5億ドル(約462億7千万円)としている。プロジェクトリーダーの一人、マツクバ・テツロウ氏は、工事が始まる前に、イスタンブル歴史地区(半島部)の考古学発掘がなされることを期待していたと述べ、「発掘が始まったときは8000年も前のものが出てくるなんて、夢にも思っていませんでした。骸骨を見たときには薪の破片だろうなんて言ってましたよ。でもあとでそれが何千年も昔のものだと知ったんです。」発掘調査が長引いたため、現金の流れがとまり、プロジェクトを続けていくために銀行か借款をしたと語るマツクバ氏は、追加費用の供出をトルコ政府に申請しているが、話し合いは難航していると言う。彼は、トルコの人々にこの世界的に有名なプロジェクトを提供することができたことを誇りに思うと語り、作業は2012年ではなく、その翌年までかかると考えている。

■イスタンブルのムフティー、ボスフォラスの海底で祈りを捧げる

プロジェクトが世界的に有名になると、妬みによる邪視(ナザル)対策も話題となった。事実、作業が始まると、世界中の多くの国の技術者たちが、プロジェクトは失敗に終わると、大成建設の東京オフィスにメールを送ってきたという。これを聞いたトルコと日本のエンジニアは様々な対策を行った。工事現場で掘削作業の始まる前には、毎回、犠牲の羊を捧げた。ボスフォラスの海底に無事下ろされたトンネル・チューブには、日本のお守りである「神棚」(海の神という意味がある)とトルコの青いナザル・ボンジュクが飾られた。日本のエンジニア達はより徹底していて、トンネルのチューブの蓋に日本から持ってきたという祈祷済みの水をまいたそうだ。マルマライ・プロジェクトの副リーダーである上級技術者のウエダ・トオル氏は、トンネル・チューブが無事に設置された際、イスタンブルのムフティー(宗務局長)であるムスタファ・チャウルジュの隣で安堵の息をもらしたという。ウエダ氏は言う:「昨年トンネル・チューブの設置が終わったとき、ブッダの誕生日である4月8日に、イスタンブルのムフティーをボスフォラスの海底トンネルにお招きしました。ムフティーはトンネルの中央で、鉄道の乗客の安全と、マルマライが問題なく完成するよう祈りました」

■日本の技術者はトルコを気に入っている―「空いた時間はアヤソフィアの絵を描いています」

マルマライ・プロジェクトの開始から今まで、常に中心となってきたプロジェクトリーダーで、トンネル採掘部門のエンジニアでもあるイマイシ・タケシ氏(51)は、すっかりイスタンブルの虜だ。彼はモスク建築や自然の美しさを讃え、空いた時間にはスルタン・アフメト地区のアヤソフィアやガラタ塔の絵を描いているという。東京湾の最も大きなトンネル開通のプロジェクトでもリーダーを務めたイマイシ氏は、マルマライ・プロジェクトに参加していることを誇りに思うと語っている。トルコ料理も悪くないというイマイシ氏の一番のお気に入りはシシケバブだそうだ…。

■トルコ人がしょっちゅうチャイを勧めるので中毒になってしまった

ウスキュダルのトンネル掘削機械の現場で2年半働いているオペレーターのマツダン・ヒサシ氏(40)は、仕事中毒だ。作業着が一番落ち着くという。彼のお気に入りの場所は、作業現場。12時間地下で太陽を見ずに働いているが、不満はない。トルコ人エンジニアや労働者とは兄弟のようだと語る彼は、どこへ行ってもチャイを出してもらうので中毒になってしまったと語る。

■列車車体の生産がはじまった。

1日に百万人を移送することを目標とするマルマライ用に、440台の列車が発注された。列車のうち100台は韓国で、残りの340台はサカリヤにあるヒュンダイ工場で生産され、2014年に引渡しが完了する予定となっている。10両編成の列車には、3200人が乗車できる。

■ボスフォラス海峡の下で最初に食事をしたのは、私たち

トンネル敷設プロジェクトで4年間働いている技師のハサン・ギョクデニズ氏は、マルマライで働いていることを誇りに思うという。日本人技術者たちからは、計画的に働くとはどういうことかを学んだと語るギョクデニズ氏は、世界のどこにいっても、似たようなプロジェクトで働けるだけの経験をつんだと語る。

約60メートルの深さにあるトンネルへは、1000段以上の階段を下りていくのだと語るギョクデニズ氏は、一日に7回もトンネルに下りる必要があり、最初はたいへんだったが、今では6分で昇り降りできるようになったという。「子供たちにいつか説明できるようなすばらしい思い出と経験をつみました」と語るギョクデニズ氏は、「プロジェクトで働いていると聞くと、みんな、トンネルには窓があるのか、魚は見えるのか、と聞いてくる。魚はみえないけど、食べてると、と返事をする」と語る。ギョクデニズ氏は、「ボスフォラス海峡の60メートルの深さで最初に食事をした人間は僕たちだ」という。

■日本人技術者とは兄弟のようになった

マルマライの最年少の労働者の一人、スィヴァス出身のナームク・ユルドゥズ氏(20)は、3年前に働き始めた当初は、世界的に有名なプロジェクトの一部となることに、自分でも気がついていなかったという。仕事を覚えるにつれ、責任も増していった。今や、彼も他の人たちと同様に、プロジェクトの遅延で、肩の荷も重くなったと責任感をもって語る。家族や友人たちが、絶えず彼にマルマライに関し質問するというユルドゥズ氏は、両親をトンネルにつれてきて案内したという。日本の技術者や労働者がとても働き者だと語るこの若者は、「日本人の技術者たちは、トルコにきて1ヶ月もするとトルコ語を話しはじめます。僕はまだ日本語が話せません。彼らは、勉強したり教えることに、とても熱心です。トンネル掘削の機械に関する全てを、彼らから学びました。」

■ハルカル―ゲブゼ線は、2年運休

マルマライ・プロジェクトの第二、第三段階は、ハルカル・ゲブゼ間の37の地上駅の改修と列車の購入に当てられている。交通渋滞の収まらないイスタンブルにとって、悪い知らせがもうひとつある。ハルカル・ゲブゼ線は、2年間、運休となる。路線上の架橋工事や横断地下トンネルが作られ、線路が新しくされる。ゼイネプ・ブケト氏によると、この線が運休になると、アナトリア方面から来た列車はゲブゼどまり、トラキア方面からきた列車はハルカルどまりとなる。イスタンブル市は、2年間、乗客をバスと船で運ぶ計画をたてている。

■マルマライとは何か?

マルマライ・プロジェクトは3つの段階に分かれている。第1段階は鉄道のボスフォラス・チューブの設置(BC1)、第2段階はゲベゼ-ハルカル間の郊外路線の改善(CR1)、第3段階は鉄道車両の購入(CR3)である。トンネル・チューブを通すボスフォラス海峡鉄道建設の契約は、クズルチェシュメからソウトゥルチェシュメまでの13km分の計画である。懸命な工事がつづいているのはヨーロッパ側だ。その理由はマルマライ・トンネルが、ヨーロッパ岸では歴史的な半島の真下を通っているためである。

■最も深い駅はスィルケジになる予定

<イェディクレ駅>
1年半開始が待たれていた考古学遺跡の発掘作業が10月に始まる。トンネルを走る通路の上にある家々が古いため、計画が変更された。トンネルは海より15メートルの位置に掘られる。イェディクレから掘り始めるトンネル掘削機械は、2130m先でイェニカプ駅に達する。

<イェニカプ駅>
都市内と都市間の鉄道交通の中心となる予定のイェニカプ駅では、考古学的発掘はほとんど終わった。現在はスィルケジに向かってトンネル掘りをする掘削機の準備が行われている。8月に掘削は開始され、3340m先で海底のトンネル・チューブに到達する予定。

<スィルケジ駅>
発掘調査が続いたため、駅の入り口の建設がまだ始まっていない。エンジニア達は皆、最も深いスィルケジ駅の建設作業は、イェニカプのように、考古の発掘調査のため遅れるだろうと予想している。

<アイルルクチェシュメ駅>
ウスキュダル駅から4300m先にあるアイルルクチェシュメ駅では、最もハイペースで作業が進められている。この駅から掘り始めたアタテュルクとヤヴズと名づけられたトンネル掘削機は、もうすぐウスキュダルに到達するところである。

<ウスキュダル駅>
アイルルクチェシュメからスタートしたトンネル掘削機がここに到達すれば、海底チューブとトンネルが接続されることになり、ウスキュダル駅は、マルマライ・プロジェクトのなかでも最初に完成する。トンネル・チューブはウシュクダルの330m先にある。地下8m下に建設される駅の上に、市当局はショッピングセンターを建設する予定だ。

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( 翻訳者:杉田直子 )
( 記事ID:16864 )