大統領、次期副大統領らを指名:ラヒーム=マシャーイー、第一副大統領に
2009年07月18日付 Jam-e Jam 紙

【政治部】新政権で大統領の国政運営を最も近いところから補佐をする副大統領や顧問らの陣容が明らかとなった。一部を配置変えし、一部を交替させることで、大統領がより開かれた形で人材の登用を決断したことがうかがえる。

 大統領は木曜日夜、ホラーサーン・ラザヴィー州で開かれた第9期政権の最新の閣議のなかで、次期政権の副大統領及び顧問らの陣容を発表した。大統領は閣議の中で、モジタバー・サマレ=ハーシェミー〔現大統領上級顧問〕を大統領上級補佐官に、パルヴィーズ・ダーヴーディー〔現第一副大統領〕を大統領顧問に、アリー・アクバル・サーレヒーを副大統領兼原子力庁長官に任命した。また、マスウード・ザリーバーファーンを副大統領兼殉教者財団・革命献身者問題長官、ハミード・バガーイーを副大統領兼文化遺産・手工業・観光庁長官、エスファンディヤール・ラヒーム=マシャーイーを第一副大統領にそれぞれ任命した。

 アフマディーネジャード大統領はまた、金曜日、メフルダード・バズルパーシュが第10期政権の副大統領兼国家青年庁長官に就任する見込みであることを明らかにした。

アーガーザーデ、原子力庁を去る

 副大統領職や重要な省庁での人事に新たな変化の波が訪れている。その一例として、原子力庁長官を務めていたレザー・アーガーザーデが長官職を去り、アリー・アクバル・サーレヒーが後任となったことが挙げられる。

 サーレヒーは第8期政権〔2001-2005年の第2期ハータミー政権〕で、国際原子力機関(IAEA)のイラン・イスラーム共和国代表を、また1361年アーザル月から1368年デイ月まで〔1982年11月下旬から1990年1月中旬〕までシャリーフ工科大学の学長を務めていた人物だ。

 サーレヒーは当時の核交渉団の力量不足を批判したことが原因で、1382年デイ月30日〔2004年1月20日〕IAEAイラン代表を解任された。この解任は、〔当時国家安全保障最高評議会書記を務めていた〕ハサン・ロウハーニーとセイエド・モハンマド・ハータミーの二人の意見によるもので、当時様々な識者たちから多くの批判が沸き起こった。

 同氏は1384年〔2005年〕、イスラーム諸国会議機構の事務局長補として、サウジアラビアのジェッダに赴任している。同氏はまた、1384年シャフリーヴァル月〔2005年9月〕に行われたアフマディーネジャード大統領の就任後初の国連総会出席の際、10名からなる同行団の一人として、大統領に随行している。

 同氏はシャリーフ工科大学学術委員会に名を連ねており、核エネルギーの分野で博士号を取得している。同氏はまた核協会の一員であり、シャヒード・ベヘシュティー大学の核物理学の教授も務めている。

影の人物

 副大統領兼殉教者財団・革命献身者問題長官に選任されたマスウード・ザリーバーファーンもまた、アフマディーネジャード大統領の側近の一人だ。

 同氏は1384年の大統領選挙で、アフマディーネジャードの選挙本部長を務めた。〔大統領派の政治集団である〕「奉仕の芳香連合」のメンバーで、元内閣書記官でもある。同氏はラヒーム=マシャーイーと同様、アフマディーネジャード大統領が出席する会合などの多くに同行している。

 ザリーバーファーンは過去数年間、記者らとのインタビューにあまり応じてこなかった人物としても知られている。

 同氏は、アフマディーネジャードの選挙演説の際、ラヒーム=マシャーイーとともに同席し、また大統領のテレビ討論のときも袖から舞台を見守っていたことから、アフマディーネジャードが同氏に特別の信頼を抱いていることが見て取れる。

副大統領から顧問に

 変化の波は第一副大統領にも例外なく押し寄せている。過去4年間にわたり第一副大統領を務めてきたパルヴィーズ・ダーヴーディーが、大統領顧問に降格したのである。

 ダーヴーディーはアメリカ・アイオワ州立大学から1359年〔1980年〕に経済学で博士号を取得、シャヒード・ベヘシュティー大学で経済学教授を務めている。同氏はかつて、司法権経済顧問・次官を務めた経験もある。

 同氏はまた、ハーシェミー=ラフサンジャーニー政権時代に一時期、経済財政省経済担当次官を務めたこともある。同氏は当時、マクロ的な観点から経済政策の立案に多く関わっていた。

文化遺産観光庁次官が長官に昇格

 アフマディーネジャードはラヒーム=マシャーイーを第一副大統領に昇格させ、文化遺産・手工業・観光庁長官の後任に、同庁長官代理を務めていたハミード・バガーイーを昇格させる人事を発表した。

 バガーイーは過去4年間、ラヒーム=マシャーイーとともに文化遺産・観光分野での仕事に従事するようになった人物。この間、手工業分野の仕事も、短期のうちに文化遺産観光庁の任務の一つに加えられた。

 文化遺産観光庁の一部高官やジャーナリストらとバガーイーとの間の意見対立が新聞紙上で多少なりとも取り上げられるようになったのは、この頃からだ。バガーイーがこの重要な省庁の長官を任された現在、同氏が文化遺産観光庁の高官たちやメディア関係者たちとの関係に変化をもたらすことができるか否かは、今後を見守る必要があろう。

第9期政権で最も物議を醸した人物が第一副大統領に

 アフマディーネジャードの辞令によって第一副大統領兼大統領代理となったエスファンディヤール・ラヒーム=マシャーイーは、間違いなく第9期政権の閣僚の中で最も物議を醸した人物であろう。

 同氏は文化遺産観光庁長官として、自らの本分にそぐわないような政治的立場を、ときに示すことがあった。そのために、マシャーイーが起こした論争の終結に、最高指導者自身が乗り出さざるをえない事態を招いたこともあった。同氏はイスラエルの人々との友好関係を口にし、多くの政治関係者の反発を招いたのである。

 ラヒーム=マシャーイーが引き起こした騒動は、イラン人とイスラエル人の友好関係を口にしたことだけにとどまらない。同氏は、アメリカ人は世界で最も優秀な国民の一つであると発言し、さらに一宗教を世界に押し広めようとする時代は終わったとも述べたのである。

 ラヒーム=マシャーイーに対する批判は大きな広がりを見せ、ついには国会議員たちが第一種緊急法案を提出、かつてイスラーム指導省の傘下にあった文化遺産庁を再び同省に付属させ、そうすることでマシャーイーが長官を務める同庁を、法的に〔国会に対して〕責任ある立場に引き込もうとする動きを見せる事態となった。しかしこの法案は、結局否決されてしまう。〔※文化遺産観光庁は大統領府に属しているため、「省」とは異なり、国会に対して責任を負わない〕

 ラヒーム=マシャーイーをめぐる物議は、これで終わったわけではない。87年アーバーン月〔2008年10月下旬~〕には、同氏がある観光事業に関するミーティングで常軌を逸した行動を行ったと、一部のウェブサイトが報じたのだ。

 これらの報道によると、ラヒーム=マシャーイー同席のもと開かれたこのミーティングで、開会時のコーラン朗唱の直前、地域の伝統衣装を身にまとった12人の女性がタンバリンを叩きながらコーランを胸に抱き、そのコーランを朗唱師に手渡したというのである。

 文化遺産観光庁は書面での回答の中で、これはイラン西部の同胞たちが行う古からの伝統であるとの弁明を行ったが、しかしウラマーやマルジャエ・タグリード〔シーア派の最高宗教権威〕、諸々の政治団体・関係者たちがこの出来事に対して抗議を控えることにはならなかった。

 いずれにせよ、マシャーイーは内閣の中でも、アフマディーネジャードと最も親密な関係を持つ閣僚の一人であり、大統領の〔地方や海外への〕訪問や式典への出席の多くに同行している人物の一人でもある。

 なお、この親密な友人関係は約1年前、アフマディーネジャードの息子とラヒーム=マシャーイーの娘が結婚することで、親戚関係に発展している。

ハーシェミー=サマレ?それともサマレ=ハーシェミー?

 彼の正確な名前は、「モジタバー・サマレ=ハーシェミー」である。同氏は、アフマディーネジャードの上級顧問を88年ファルヴァルディーン月〔2009年3月下旬~〕まで務め、その後第10期大統領選挙でアフマディーネジャード選挙本部長に就任した。同氏は、アフマディーネジャードの子供時代からの友人であり、最も重要な補佐官の一人でもある。

 サマレ=ハーシェミーのイランでの影響力は大きく、ニューズウィーク誌が2009年6月1日号で同氏を「イランで影響力のある人物20名」の一人に選んだほどである。ジョージ・ブッシュやアンゲラ・メルケルに書簡を出すなど、論争を巻き起こしたアフマディーネジャードのイニシアティブの多くは、同氏の勧めによるものだったと言われている。

 サマレ=ハーシェミーはアフマディーネジャードが84年〔2005年〕に大統領に就任する前まで、サナンダジ市長、コルデスターン州知事政治顧問、コルデスターン大学学長代理、未来創造社代表取締役、外務省評価委員会代表、放送大学教育担当副学長及び同学部長などを歴任している。

若き閣僚

 ハージ・アリー・アクバリーに代わり、副大統領兼国家青年庁長官に選ばれたメフルダード・バズルパーシュは、大統領の側近として国政に携わる人物の中でも最も若い人物の一人である。

 同氏は現在、イランの主要自動車メーカー2社のうちの一つであるSAIPA自動車工業の代表取締役を務めている。バズルパーシュはまた、「ヴァタネ・エムルーズ」紙の発行責任者でもある。

 同氏は、我が国で最も重要な企業の一つであるSHOSTA社(社会保障投資会社)の代表取締役に就任する予定であったが、複数の理由からこの人事は撤回されている。

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( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:17024 )