黒海地方へ出稼ぎの人々、ディヤルバクルから出立の日
2009年07月27日付 Radikal 紙


ディヤルバクルの出稼ぎ労働者が今日、トルコ国内各地へと希望の旅路に就いた。毎年この時期、南東部から出発するクルタラン急行が、ヘーゼルナッツ収穫に従事する何千もの労働者を黒海その他の地域に運ぶ中、駅には憂鬱な空気が漂っている。

ディヤルバクル駅からの希望の旅路の様子

アナトリア南東部において働き口がないことや干ばつなどのために、ディヤルバクルやマルディン、シャンルウルファ、スィイルト、バトゥマンから、毎年何千もの人々が生活の糧を得るために、出稼ぎ労働者としてマルマラ、黒海地方に赴く。

子供や女性、若者からお年寄りまで、国内の特定の地域でヘーゼルナッツ収穫などに従事する出稼ぎ労働者として働くため、身の回りの品を抱えてディヤルバクル駅から旅立っている。出稼ぎ労働者にとって最も頭を悩ますのは、乗車賃の値上げだ。かつては一人あたり10リラ(約640円)だったのが30リラ(約1920円)になった。ヘーゼルナッツ収穫に向かう労働者は、収入を増やすため、より多くの働き手を家族の中から送り出している。その結果12人の家族の往復運賃は720リラ(約46,000円)に達し、ひと月に一人あたり600リラ(約38,000円)稼いでも、500リラ(約32,000円)が飲食費に消えるという。
労働者の中には、半年間稼ぐために出稼ぎ生活を続ける人々がいる一方、大きな期待と共に行ったにもかかわらず、仕事を見つけられず、なすすべもなく帰路に就く家族もいると話している。

駅での喧騒、それから静寂

ディヤルバクル駅で「希望の列車」を待つ何百もの労働者は、汽笛が聞こえると急いで自分の荷物を手に持ち始める。歴史的なディヤルバクル駅は、針を落としても地面に達しないほど混雑し、喧噪が渦巻いている。列車が来ると急に騒がしくなる。列車が停まるや、われ先に乗り込もうと相争うのである。身の回りの品々、小麦やボトル、砂糖、食材に続いて寝具を、窓から車内に押し込んでいる。それ以外に、窓から子供たちをも車内に押し込もうとする人たちもいる。希望の旅立ちは、残された人々が手を振り、喧噪の中にあった駅が静寂に包みこまれて終わる。生活の糧のため妻子を故郷に残した人々は民謡を口ずさみつつ、希望の旅路がどれほど辛いか想像する。
長く苦しい旅の終着点はアダパゼル、サカリヤ、ヤロヴァ、ブルサ、イスタンブル、アンカラ、イズミル、オルドゥ、ギレスンといった都市である。黒海、マルマラ地方で2ヵ月間、昼夜を問わず畑で働く出稼ぎ労働者は、日当20~22リラ(約1280円から1400円)の賃金を受け取る。

出稼ぎは9歳で始め、今は3人の子供がいる

三児の父親であるメフメト・クズさんは、地元で職が無いため出稼ぎを強いられており、これまで18年間ヘーゼルナッツ収穫に行っていると言い、以下のように話した。
「9歳の時、両親と共に始めたチュクロヴァへの旅は、3人の子供がいる今になっても続けている。来年は子供たちも連れて行くつもりだ。ディヤルバクル選出の国会議員達もいるが、選挙の時しか来ない。14人で行くが、ひと月に600リラだ。むこうでの食費をまかなうためここから500リラを負担した。収支はとんとん、どうしようもない。その上、列車賃が30リラに跳ね上がった。一縷の望みは、むこうの畑で仕事を見つけて働くということ。妻と3人の子供たちは残していかなければならない。一緒に来たら何か買ってあげたくなってしまうから」
アダパザルに出稼ぎに行く別の家族の長であるメフメト・アルドラさんは、半年間留まりビーツを収穫すると言い、「5人の家族で行ってくる。我々は虐げられている。我々には預金もなければ、財産もない。あるのは自分たちの手だけ。これを使って稼いでくるんだ」と話した。

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( 翻訳者:下中菜都子 )
( 記事ID:17052 )