オスマン帝国建国の地はヤロヴァ―歴史家イナルジュク教授、自説発表
2009年07月27日付 Cumhuriyet 紙

ヤロヴァ県とビルケント大学が共同で開催した「オスマン帝国建国の歴史―国際シンポジウム」が、同県で行われた。これまでも研究と論文によってオスマン帝国はヤロヴァに建設されたと主張してきた歴史家ハリル・イナルジュク教授は、その見解をヤロヴァで再度披露し、「オスマン侯国は、1302年にヤロヴァで勝利したバフェウスの戦いののち、「国家」の地位を獲得したのです」と話した。

セルマリウム・ウェルネス・パークホテルで行われたシンポジウムには、ヤロヴァのメフメト・エルソイ県知事、ヤクップ・コチャル市長、ヤロヴァ大学学長ニヤジ・エルスル教授、ビルケント大学学長アリー・ドーラマジュ教授、至福党のレジャイ・クタン元党首、そして研究者らが参加した。

その研究と論文によって、オスマン帝国はヤロヴァに建設されたと主張するハリル・イナルジュク教授は、60~70年間もの間、諸資料を間で、偉大な歴史の真相を世界に知らしめるべく懸命に努力してきたと述べ、「伝統的な社会において、ひとつの国家の誕生を特定するためには、それ以外の基準が定められなければなりません。オスマン国家がいつ誕生したかは、意見の分かれる問題です。しかし、歴史家が忘れてはならないのは、中世の国家は王家の国家であるということです」と述べた。

■歴史は変化すると学びました

シンポジウムで話したヤロヴァ大学学長ニヤジ・エルスル教授も、以下のように述べた。「私達は歴史をつくりましたが、書き残すことはしませんでした。親愛なるイナルジュク教授が、我々にこの機会を与えて下さいました。この会議で、過去の大事件が検討されます。先生、おめでとうございます。トルコの歴史のさびた釘を引き抜いて、トルコ民族史に新しい地平線が開かれようとしています。」

ビルケント大学アリー・ドーラマジュ学長も、スピーチにおいて、高校や大学の教科書にはオスマン帝国の建国として1299年のオスマン・ベイによる独立の宣言が記されていることに触れ、「歴史の塗り替え、既成概念の変化、こうした変化を経験しています」と話した。

高等教育機構・運営委員会のムヒッティン・シムシェク教授も、以下のように話した。
「すべてのものは変化します。私達、人間も地理も、です。今日、歴史の理解も変化すると学びました。歴史を変えた人、あなたを慕っています。イナルジュク氏は私達の使命を明らかにしてくれたのです。」

イナルジュク教授は、シンポジウムで大きく注目を浴び、招待客の求めに応じ、著書にサインをした。

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( 翻訳者:木村納菜 )
( 記事ID:17054 )