ユリュク、夏営地への移動
2009年08月02日付 Radikal 紙

冬をエーゲ海や地中海の海岸で過ごすユリュックの、夏営地となる高原地(牧草地)への移動が続いている。ムーラのフェティエ郡で行われた祭りで、伝統的なユリュックの移動が再現された。

ムーラとその周辺の諸郡で生活するユリュックたちは、祖先から遺された文化を生かすために奮闘している。最後の遊牧民の代表である、夏期をムーラ、ブルドゥル、ウスパルタ、アンタリヤ、メルスィン、フェティエの高原で過ごすユリュックたちの、春に始まる困難な旅が続く。

馬、ラクダ、羊、ロバ、山羊とともに平原から高原へ、高原から海岸へ移動しながら伝統を継承するユリュックたちは、生かそうとする彼らの文化でもって、国内外の研究者たちの関心の的となり続けている。

■フェティエでユリュックの祭り

ムーラのフェティエ郡に属するオバラル村ベシカザ・ヤイラス(高原)でユリュック文化祭りが開かれた。祭りには、ブルドゥル、ウスパルタ、アンタリヤ、ムーラ、フェティエで生活するユリュックたちや家族たちが参加した。

祭りに参加し、ユリュックのテントにしばらく腰を落ち着けたムーラ知事のアフメト・アルトゥパルマク氏は、フェティエのボアラル村でユリュック文化祭りが13年の間行われていることに注意を引きながら、「ユリュック文化が最も息づいている地域はこの場所なのです。ブルドゥル、ウスパルタ、デニズリ、アンタリヤそしてムーラで暮らすユリュックたちが移動するのがここです。ユリュックの文化は一つの生活の体系です。この文化を生かすことは有益なことでしょう。この文化は観光の選択肢にとっても重要な活動となります。この文化を生かすために出来る限りの支援を行います」と述べた。

アルトゥパルマク知事は、これらの活動が行われた場所へ観光ツアーが催されうるとし、「このような試みは、たいへん素晴らしいものになるでしょう。300万の外国人観光客、400万の国内観光客が訪れるこの地域で、彼らがこのような活動・催しに参加しないことは考えられません。ユリュックの移動が記録される必要があります。この文化が無くなる前に、記録化せねばならないのです」と話した。

トロスラル・ユリュック・トルクメン連盟代表であるムスタファ・キュチュクヤマン氏はというと、ユリュックたちの移動が高原地への距離により変化を見せていることを明らかにし、以下のように述べた:

「ユリュックたちの生活に欠かせないものは家畜です。ユリュックたちは移動の間、高原地に長い間留まることを好みます。最大の理由は、高原で家畜を最も良く育てられるということからです。ユリュックたちの移動は地域によって変わるとしても、平均して30日から45日かかります。中部トロス山脈にあるウスパルタ、コンヤのような場所においても、高原へ移動するとき家畜に牧草をやりながら向かう際、一日(でも)多く草をやることが、ユリュックたちにとって重要なこととして考えられています。一部のユリュックたちは雪が降るまで高原地に残ります。彼らが暮らす自然の環境と摂っている自然の食物のため、ユリュックたちの平均年齢は国内の平均年齢よりも高いのです。確認したところによると、ユリュックたちの平均寿命は80代です。」

ユリュック文化祭りが行われた村の出身で、産業・貿易省のアリ・ボア事務次官は、ユリュック祭りにおいて過去を含め懐かしい全てのことを改めて再現したことを述べながら、以下のように語った:

「私たちの年齢の人たち、私たちよりもっと若い人たちが、子供のころの思い出を体験するためにここに来ています。ここで、昔を髣髴とさせるテントに設立された初のユリュック博物館を訪れる入館者たちの強い関心を感じます。この古い文化では助け合いがあり、支え合いがあります。分離はなく、一体があります。その観点から、この文化が今日の条件下においても人々を一つにする協調要因としても復活しうると考えています。ここではどんな人為的な選択や差別もありません。ここは全ての人に開かれています。政治家にも、村民にも、国民にも、あらゆる人に開かれているのです。ここに来るとみんなが自分自身を見つけ、自身を見つめますが、これは重要なことでしょう。このような環境を提供でき、とても幸せです。」

■ユリュックの移動

ベシカザ・ヤイラスで開催されたユリュック文化祭りでは、忘れられつつある伝統的な「ユリュックの移動」が実現された。女性、子供、男性の約50人によって行われた移動の際に、平原に張られたテントは、高原に移動する決定が下りると折りたたまれ、ラクダに積まれた。ベシカザ・ヤイラスに移動する(ユリュックの)家族、山羊、羊、馬、ラクダ、ロバはおよそ一時間続く移動の後、ユリュック文化祭りが行われる地域へ辿り着いた。

移動するユリュックたちは、高原へ入ると太鼓やズルナの楽器の演奏で迎えられた。祭りに参加した人たちが歌う、土地の民謡と踊りは人々の興味を引いた。

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( 翻訳者:西山愛実 )
( 記事ID:17094 )