トルコ・ロシアの関係変化
2009年08月09日付 Milliyet 紙

ロシアのウラジミール.プーチン首相による先週木曜日アンカラ訪問は、両国間で長い間準備を続けてきた歩み寄りの過程を国際世論の前で明らかにした。

1990年代にロシアでトルコについて言及することさえよく思われなかったが、この状況を変えたのがプーチン氏による2004年のアンカラ訪問だった。両国関係の前途は、突然開かれた。ロシア政府のアンカラ政府に対する見方を最も劇的に変化させたのは、2003年にトルコがアメリカとの関係を壊すリスクを犯して、「(トルコ軍の派兵ならび外国軍の駐留に関する政府権限の)3月1日提案」を拒否したことである。

■今までの見方は壊れた。

ロシア人の「アメリカの言葉に反対しない、NATOの前線基地トルコ」という今までの見方を壊したこの状況に続いて、トルコ政府が昨年の今頃勃発したロシア-グルジア戦争中にコーカサスの問題を自分から解決することを見据えた試みを始めた。この結果として、トルコは、ロシアを含む地域の国々の前で発言権を増し、戦争に関与しなかったが戦勝国という位置づけになった。

■トルコは地域権力

アメリカに対して単独で対抗できないロシアは、トルコが近年政治・経済分野でも力を高めていることに影響をされ、トルコ政府とあらゆる分野で可能な限り近づくことを決定した。戦略的な違いから、トルコ政府を計算していなかったロシア政府が、現在はトルコを「地域権力」として賞賛し始めている。

ロシア政府は、もはやトルコがアルメニアと接近することを阻まない様に、ナゴルノ・カラバフで役割を担うことに反対しない。プーチン氏の最近のアンカラ訪問の根本的重要な面はというと、トルコーロシア間関係の伝統的なコードを変えたことである。昔から単に「競合」としていたコードは、今日両国間で眼前のことを解決するために、もはや十分ではない。両国関係の新たな鍵は、「協力」である。

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:17153 )