大統領が使ったクルド語地名「ノルシン」、身分証明書にも記載ずみ
2009年08月13日付 Hurriyet 紙

 大統領がギュルオイマックをノルシンと発言したことから始まった論争は、地元住民の住民票をめぐってまたも一悶着を引き起こした。

 アブドゥッラー・ギュル大統領がビトゥリス訪問の際にギュルオイマック郡を本来のクルド語名である「ノルシン」と発言したことは反対勢力を刺激することとなった。政府の「クルド融和」への支援姿勢と受け取られたこの発言に対し、CHP(共和人民党)とMHP(民族主義者行動党)から分離主義であるとの批判がもたらされた。

 しかしながらギュルオイマックで暮らす一部住民の住民票にはノルシンと記載されている。1956年3月3日生まれのメフメト・ビンギュルさんは身分証明書に出生地がノルシィンと記載されている人物の一人。同じく1959年12月1日生まれのフィリット・ギュレッチさんも身分証明書に出生地がノルシンと記載されており、今年まで郡の名称は公にはノルシンで通っていたことを語ってくれた一人である。

■分離主義であるとの批判

 最も強く批判するのは民族主義者行動党のデヴレト・バフチェリ党首である。同党のチェリキ氏は、「大統領は、その職務上、トルコ共和国全土において正式な地名を用いらなければならない。この観点から、ノルシンという表現は大統領としてふさわしくない。その郡の名前はギュルオイマックである。その地の住民の70%はギュルオイマックと呼ぶ。しかしながら一部の分離主義者の家庭ではノルシンと呼ぶ」と述べ、ギュル大統領を責めた。

 しかしタイイプ・エルドアン首相はギュル大統領を擁護した。エルドアン首相は批判に対して、「ギュル大統領がビトゥリスでギュルオイマック郡に関し、ノルシンと言ったと批判されている。そうであればアタテュルクの演説本を開いて、その本の中でノルシンの住民にどのように訴えかけているか見てみてください。ノルシンといい、「ノルシィンの皆さん」と呼びかけているではないですか」と主張した。

 アルンチ副首相も次のように大統領を支持した。「議会の中では、ゲンチ氏がトゥンジェリをデルスィムと言っても微動だにしないのに、大統領がギュルオイマックをノルシンと言うと大騒ぎする。住民もこの地を普通にノルシンと言い、広くそのように認識しているため、ビトゥリスを通過する際にノルシンをギュルオイマックと言おうものなら、『何のことだ』と、みんな顔を見合わせる。シィイルトのティロ郡の正式名はアイドゥンラル。民族主義者行動党のオクタイ・ヴラル氏もこの地域出身である。彼に出身地を聞けば、ティロ郡ですと答えるだろう。」

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( 翻訳者:永井ひとみ )
( 記事ID:17189 )