Hasan Celal Guzel コラム:トルコにおけるクルド人の人口数と諸事実
2009年09月06日付 Radikal 紙
親愛なる読者のみなさん、この日曜談話で、これまでたくさん議論され、多くの憶測がなされてきたトルコのクルド人人口について私の認識を今一度お伝えすることにしましょう。
まず初めに、強調すべきは、私はトルコ人とクルド人を区別することにまったく反対である。トルコで生活する国民はみな同じだと思っている。下位のアイデンティティがどうであれ、クルド人はトルコ国民から切り離すことのできなり一部分であり、我々の真の兄弟である。彼らについて話すときに「私たちー彼ら」という区別をすることですら私には違和感がある。
しかしながら、トルコにおいて分離主義者、人種差別主義者、クルド民族主義者たちがどのように差異を強調する行動をしてきたのか、そしていくつかの外的勢力によってどのように支持されてきたのかは我々みんなが知るところである。
■このような作り話は聞いたことがない
さて、クルド民族主義者が、完全に分離主義的目的で、トルコにおけるクルド人人口を多く見せようと苦心する結果、しばしば「数の競り合い」的な状態になってきている。メシュヘディ・ジャーフェル(訳者註:大ぼら吹きの代名詞)のほうがましだと思わせるほどに数を誇張する人たちは、全人口の15パーセントから始まり、20パーセント、25パーセント、さらには3分の1であるというふうにその主張をエスカレートさせている。しかしながら、大げさで、政治的イデオロギー的仮説に基づいたこれらの主張はただの一つとして、科学的論理的証拠に基づいたものではないことが明らかである。
ある週刊誌でも掲載されたメフルダッド・イザディ氏の予想(!)によると、2050年におけるトルコのクルド人人口はトルコ人人口を超えてしまうらしい。メシュヘディ・ジャーフェルの子孫(=大ぼら吹き!)であると我々がみなすイラン系クルド民族主義者のイザディ氏は、1991年11月にニューヨークのクルド協会で行われた会議で、トルコのクルド人人口が2020年に3400万人に、そして2050年には4900万人を超えると主張した。イザディ氏は、ジャスティン・マッカーシー教授が、その数はどのような科学的データに基づいているのかと質問したことに対し、「統計に基づく数ではなく、大統領のスポークスマンであるカヤ・トペリ氏が湾岸戦争の時に挙げたいくつかの数や、前世紀に馬に乗りまわって、いろいろな推測をしていた旅人や政治的主張に」基づいたものだと述べた。
雑誌『タイム』の1991年3月18日号では、トルコには800万人のクルド人がいると書かれていたが、しかし、2週間後の1991年4月1日号では、(この数字で不十分であると思われたのか)、トルコにおけるクルド人人口は突然2倍に増え、1450万人であるとされた(ムスタファ・アクヨル)。
同年の3月にパリのクルド協会会長のケンデル・ネザン氏は、「トルコには2500万人のクルド人がいる」と説明した。イラクのタラバーニー氏は1991年3月に『デア・シュピーゲル』に行った説明で、「その地に900万人のクルド人が住んでいるトルコは・・・」と述べていた一方、ケマル・ブルカイ氏は同じ年の12月に行った会見で、トルコには1500万人のクルド人がいると主張した。さらに、1994年12月24日に放送された同じテレビ番組でクルド民族主義のムザッフェル・デミル議員は、クルド人人口は1500万人、マフムト・アルナク議員の方は2000万人であるとそれぞれ断言していた。
これらはすべて、同時代(における数である)という点で、クルド民族主義者たちは彼ら自身のあいだでもいかに矛盾に陥っているか、そしてトルコにおけるクルド人の数については、どれも科学的根拠がない数字が提示されていることを示している。
■実際の数は?
トルコにおけるクルド人人口についてもっとも実証的で科学的なデータは国立統計協会(現在のTÜİK)の1965年国勢調査である。これによると31,391,421人であるトルコ人口のうち2,291,502人が母語としてクルド語を申告した。この数は全人口の7.07パーセントに相当する。これ以降の国勢調査では、母語による統計分布はなされなくなった。
今日、クルド人人口の割合が増えたと主張する人たちは、クルド人がその他のエスニック的バックグランドを持つ集団と比べ出生率が高く、人口増加率がトルコ平均を上回っているからだと主張する。出生率の高さに関して、手元にある唯一のデータもまた、統計協会が行ったものである。
これによるとトルコ全体の出生率は2.23パーセントである一方、東部および南東部ではこの割合が3.65パーセントに増加する。反対に、移住クルド人達の新しい定住地では、他のエスニック的バックグランドを持つ集団に合わせながら都市化した結果、人口増加速度の点でトルコ全体平均に近付いている。
別の側面で、言及されている地域では乳児死亡率が高く、平均寿命が短いことは、人口増加にとってマイナスの要因である。さらに、これらの地域では人口の重要な部分をトルコ人やアラブ人も占めているのだ。
クルド人人口については、ハジェテぺ大学人口研究所の所長、アイクト・トロス教授とそのチームが、全人口数を基にして行った推定では、1992年に母語がクルド語である人たちの割合は6.2パーセントであるとしている。トルコの民族構成に関して、今日まで行われてきた調査を科学的に分析するアリ・タイヤル・オンデル氏は、2006年時点で7400万人であるとされるトルコの人口のうち、クルド人の数は500万人(6.76パーセント)、ザザ人の数は80万人(1.08パーセント)であると立証している。これによると、(ザザ人はクルド人に含めないとして)クルド人とザザ人の、総人口に占める割合は7.84パーセントであるとされている。
ガーズィー大学のメフメト・シャーヒンギョズ教授とP.A.アンドリュー氏が、本部をアメリカ合衆国におく「世界の言語による民俗学的データ」という名前の機関で行った調査では、クルド人人口の割合は8.36パーセントであるとした。この点において、今日まで出された学術的根拠に基づく(クルド人人口の)最大人口割合は、アンドリュー氏が「トルコにおける民族分布」というタイトルのレポートで示した、2001年の(クルド)民族人口13.79パーセントである。
さらに、2005年9月の「EUユーロ・バロメーター世論調査」で、母語がトルコ語であると申告した人の割合は93パーセントであり、クルド人も含む残りの人口は7パーセントを超えないことが分かった。
クルド人人口を計算するとき、クルド民族主義政党の得る票数も一つの指標としてみなしうる。クルド人人口のすべてがこの政党に投票しないのは明らかだとしても、選挙結果は、クルド人人口がクルド民族主義者のいうほどではないことを示している。実際に1995年12月の総選挙でHADEP(人民民主党)は、PKK(クルド労働党)の脅しや圧力の見返りに―クルド民族主義者を除いた左派の票も加えて―たったの4.17パーセントの得票率であった。さらに2002年11月3日の総選挙においてもHADEPは6.2パーセントの得票率で、10%の最低得票率以下にとどまっていた。2007年7月の選挙ではDTP(民主市民党)と無所属候補者合わせて、5.36パーセントであったが、2009年の地方選挙ではDTPは5.04パーセントの票を得た。
全てのこうした分析の結果、1965年の人口調査の結果が、クルド人に有利に見積もって、50%増になったと仮定しても、2006年に時点で、トルコにおけるクルド人人口の割合は7パーセントから11パーセントの間であり、多くても11パーセントである。数にするとクルド人は500万から800万人の間で推移し、多くて800万人であると考えられている。
このような社会を果たして「モザイク社会」と呼べるのだろうか?
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:猪股玲香 )
( 記事ID:17385 )