コラム:イスラエルに対するアラブ諸国の無策を批判
2009年09月08日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ 事実は語る

2009年09月08日付クドゥス・アラビー紙(イギリス)HPコラム面

【イリヤース・ホーリー】

発話でも文章でもよく使われるが、「~と言える」という表現は少々問題だ。スピーチの中で用いれば、その語の意味はあまりなくなる。

しかしここでは本来の意に立ち返って言おう。事実を見れば、東アラブでは何もかもが腐りつつある、と言える。

レバノン政治の紛糾、パレスチナ和解の至らなさ、エジプトで常々繰り返される事、アラブ専制時代の言語的不徳、シリアで続く政治的逮捕等々は、腐敗の現象、それが現前した形である。一方、その腐敗の原因は、「不能」であると言える。

この語によって私は、本質的なひとつの事を意図している。つまり、戦争に突入する能力の無さ、あるいは戦争をほのめかす能力の無さである。アラブ諸国が戦争をする力を持たず、その能力を求めてもいないことをイスラエルは知っている。だからこそ、抑圧、入植、小競り合いに甘んじているのだ。アラブ諸国政府がどれだけ嘘を塗り固めても隠しおおせない、アラブにとっての屈辱的状況が山とある。実のところアラブの諸政府は、アラブ社会が瓦解していくのを見守り、それが暴発しない程度のラインにとどまるよう調整している。

そのような状況が、サウジ、エジプト、シリアの三国が実態として牛耳る東アラブ政治の特徴である。これら三国の戦略はそれぞれ異なり互いにぶつかることもあるが、目標は、社会的崩壊を一定ライン内にとどめることだ。その瓦解状況は、レバノンでのように、輸出されることもあれば、湾岸に見られるように力をもって抑制されることもあり、エジプトでのようにあからさまに示される事もある。アラブ諸国がイスラエルの脅威を感じていないという意味ではない。しかし戦争をする力がないアラブとしては、微妙なバランス・ゲームに臨むことしかできない。シリアはヒズブッラーを用いて戦い、あるいはイランとの同盟をもって脅す。エジプトは、戦争どころか今にも和平にのりそうな素振りをする。サウジは寛容さをもって圧力をかける。寛容といっても少しだが。

これらがもたらすものは混乱のみならず、不能状態である。寛容と見せかけて崩壊を調節するような事は、変わりゆく国際情勢の中で不可能となる。西岸とエルサレムにおけるイスラエルの入植熱は、独立パレスチナ国家の可能性を消去するだろう。アラブ諸国体制を没落させ、軍事クーデターを優位にした1948年の理論が戻って来る。

米イスラエル交渉の複雑な軌跡を追うと、パレスチナ国家誕生の可能性を摘み取ろうというイスラエルの執念が感じられる。オバマ政権が理性的な最低ラインを得ようとして、イスラエル側の利益や優位を保証しながらも譲歩は不可欠とする中、イスラエルの方は入植に情熱を傾けている。

昨日のイスラエル各紙はこの入植熱の二つのモデルを示した。ひとつは、マーレー・アドミーム、エリール、グーシュ・アツユーンで新たに500ユニット、つまり約2500戸のアパートを建設するというネタニヤフの決定であり、これにエルサレムで始まった暴力的な入植が加わる。もう一つは、ガザから立ち退いたシーラト・ヒームの入植者たちのため、ヨルダン渓谷にマシュクートと称する新入植地を建設するというものである。

PAが適用していたロードマップ、入植地拡大停止を保証していたその地図はどうなったのかなどとは言わない。これらを問うのは無意味である。我々は、ファタハ総会の決議、抵抗という選択を固持するとの決議が適用されるのを待っている。長くは待ちたくない。その状態が続くことは没落を意味するからだ。

イスラエルが二つのラインで動いている。レバノンとガザの武装戦線、ここでは、戦線を凍結しつつ脅すという作戦が用いられている。もう一つは和平にからんだ政治路線で、ここでは和平プロセスを空疎なものにしようとしている。

遅延させるというのがイスラエルの戦略だ。結果として、西岸では、土地だけではなくその住民の安全にまでヨルダンが関わらずを得なくなる。ガザの治安の責任はエジプトにかかってくる。レバノンの覇権とゴランの部分的返還を巡ってはシリアに対する策略が練られる。

究極的には、それは東アラブを没落させ、戦略的均衡を失わせる、あるいは「イラク化」させるイスラエルの作戦である。

この戦略に対抗できるのは寛容さではない。寛容をもってすればアラブ側は底なしの淵に落ちていくのみである。スケジューリング・ゲームは、まずイスラエルの利益となる。イスラエル側の驕りの一端は、リーバーマンのアフリカ歴訪に現れている。その目的は、ナイル水源のエジプトへの割り当てを制限することだった。このファシストは、アスワン・ハイ・ダムに核爆弾を落とし水を枯渇させようと提案した。この現実への唯一の対応策は戦争である。73年、第四次中東戦争時のすばやさをもってイスラエルを攻撃するしかない。目的は、イスラエルの過剰な自信を揺るがし頭を冷やさせることである。イスラエルの表現で、度を失い、誇大妄想につかれたような人を「しょんべんがおつむに回った」と言うそうだが、彼らはまさにそれである。

私は戦争を好むわけではない。しかし自分の国が不能故に崩壊していき、平和的手段も武力も含めあらゆる対抗策が失敗したとあっては、アラブ諸国に残された唯一の手段が戦争とみえる。さもなくば没落するのみである。

アラブ支配勢力が以上のような事を理解しているのかどうかは分からない。彼らはリラックスしているように見える。しかし、そのソフトな政策路線は、前例のないアラブ全体の没落をもたらすだろう。これこそが、手遅れになる前に、言われなくてはならない事実である。

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:17395 )