東部から移住1年、洪水で失われた一家の悲劇
2009年09月08日付 Zaman 紙


■子供たちに教育を受けさせるために引っ越してきた一家が、洪水で亡くなった

サライ郡における洪水でチャカル一家五人が亡くなったあとには悲しい引越しの物語だけが残った。 ファーティフ・チャカルさんとハンダン・チャカルさん夫妻は、三人の子供たちによりよい環境で教育を受けさせようと、エルズルムからサライへ引っ越していた。

サライ郡に住むアフメト・オナルさんは、仕事を探していたチャカル一家を自身の農場に移り住ませた。一家は日雇いで家畜を飼育しながら生計を立てていた。チャカル一家は子供たちによりよい環境で教育を受けさせるチャンスをつかんだ。しかし、それも、昨日(7日)に降った豪雨の結果、ガラタ川が氾濫するまでのことだった・・・。洪水は一家を深夜3時におそった。

ファーティフ・チャカルさんは最後の望みを託し、アフット・オナルさんに電話した。電話での最後の言葉は、「洪水がきている!助けに来てください!」であった。洪水はチャカル一家を飲み込んだ。はじめに、アズラ・チャカルさんの遺体が見つかった。間もなく5年生で12歳のビュシュラ・チャカルさんの遺体がガラタ橋付近で見つかった。しばらくして母ハンダン・チャカルさんの遺体が発見された。最後に7歳のベルナさんの遺体が見つかる一方、父ファーティフ・チャカルさんの捜索は続いている。一家が飼育していた38頭の牛も死んだ。

チャカル一家の隣人であるアイシェ・ウヤンさんは、一家が約一年前にここへ家畜を飼育するために移り住んだと話した。ウヤンさんはハンダン・チャカルさんが「子どもたちに教育を受けさせるためにこの苦労に耐えている。子どもたちには私のように無学のまま育ってもらいたくないので引っ越してきた。」と話していたと述べた。

父ファーティフ・チャカルさんは友人のダウスタン・タリさんに、「私は保険に入っていない。私の身に何かあったらどうしよう」と言っていたという。サライ郡のナズミ・チョバン市長は、一家が住んでいた農場の家は不法建築だったと明らかにした。1991年にも洪水が町をおそっており、多くの家が飲み込まれていた。

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( 翻訳者:阿部将之 )
( 記事ID:17402 )