ジェム容疑者逮捕にいたる197日間、何があった?
2009年09月17日付 Hurriyet 紙


ミュネッヴェル・カラブルトさんを殺害した容疑をもたれているジェム・ガリプオール容疑者は、事件から197日後、ガリプオール家の弁護士の仲介により、0:45に警察に自首した。

本件は、ムアメル・ギュレル・イスタンブル県知事、オウズ・カアン・キョクサル警察庁長官とヒュセイン・チャプクン・イスタンブル警察署長による、警察治安局での記者会見によって発表された。ムアメル・ギュレル知事は、会見で、政府は約束したことを守り犯人逮捕に至った、そのため捜査班には感謝すると述べた。

■殺害は3月3日に行なった

ミュネッヴェル・カラブルトさんの死体は、頭を胴体から切り離された形で2009年3月3日にイスタンブルのエティレルでゴミ箱の中から発見された。警察は、短時間でカラブルトさんの友人であるジェム・ガリプオールが殺人に関与しているとして捜査を始めた。殺人事件は、世論に広く知れ渡っていたため、ジェム・ガリプオールは海外へ逃亡したといわれ、その逮捕のため国際指名手配がされた。ジェムは184カ国で捜索された。ジェム逮捕のためメディア各機関も詳細な報道を行なった。殺人は連日、テレビ番組で報道された。被害者の家族や友人たちは、市民の支援もえて、容疑者逮捕のためにデモ行進を行った。

■「ジェムは逮捕されたが、釈放された」という主張

被害者の父親であるシュレイヤ・カラブルト氏が、ジェム・ガリプオールは一度逮捕されたが、釈放された、という主張をした為、当時のイスタンブル警察署長ジェラレッティン・ジェラーフによって訴えられた。また父親は、殺害後ジェラレッティン・ジェラーフ氏がジェム・ガリプオール容疑者の叔父であるハイヤム・ガリプオールと会ったと主張した。また、シュレイヤ氏は、記者会見で、警察が(容疑者の)家族から賄賂を受け取ったと話した。ジェラレッティン・ジェラーフ署長は、これらの疑惑を強く批判した。トルコ国民議会人権調査委員会は、ミュネッヴェル・カラブルトさん殺人事件について、内務省と共和国検察局から、情報提出を求めた。

カラブルト家の最初の弁護士であるファルク・ゾルバ氏とトゥライ・コンクシュ氏は、被害者家族とのトラブルのため、弁護の任からはなれた。父親のカラブルト氏は、さまざまな場所で行なった行動や会見によって殺害事件を絶えず注目させることに成功した。あるときは殺人がサタニスト(悪魔崇拝主義者)による犯罪であるとし、ジェム・ガリプオールとその兄のレヴェント・ガリプオールがサタニストのサイトのメンバーだと主張した。

■医学法律学のスキャンダル

昨今スキャンダルが続いている法医学協会は、今回、被害者であるミュネッヴェルさんの下着に精子を付着させた。父親のシュレイヤ・カラブルト氏はこれについて法医学協会と法務省を法的に訴えると述べた。父親は、会見で「娘をガリプオールが殺し、法医学協会が汚した」と話した。この過程において、ジェム・ガリプオールの近親者のDNAサンプルが採取された。ガリプオールの父親のメフメト・ニダ・ガリプオールと母親のトゥライ・マクブーレ・ガリプオールは拘束されたが、釈放された。母親はその後、海外へと渡った。父親の釈放は非難の的となったため、父親は再度拘束され、裁判所決定により逮捕された。

以上さまざまなことがあったにも関わらず、殺人そのものが解明されないことから、社会のあらゆる方面から大きな批判が巻き起こった。ミュネッヴェル・カラブルトさんのためにフェイスブックにページが作成され、詩が書かれた。映画監督のメリフ・ギョエバカンはミュネッヴェル・カラブルトの人生を描く映画を撮ると決定した。そしてたくさんの有名俳優陣が配役され、撮影が開始された。

■情報提供多数

世の中の人々からも、ジェム・ガリプオールに関する毎日の異なった主張が行われ始めた。警察には毎日ガリプオールを見たという電話が来た。ロシア、アメリカ、イスラエル、アルメニアなど様々な国にいるという情報が寄せられた。トルコの様ざまな県からの目撃情報が多数寄せられた。メディアではこれに関する情報が毎日報道された。この間に、イスタンブル警察署長がかわり、ヒュセイン・チャプクン氏が警察署長になった。チャプクン署長は、記者会見で、(犯人を囲む)輪が狭くなってきていると述べ、近く殺人犯を逮捕できるであろうことを示唆した。この会見の後、何度も犯人が逮捕されたと報道されたが、それらは誤報だった。

■そして最後は自首

ヒュセイン・チャプクン警察署長の「輪は狭くなってきている」という発言から程なくして、ジェム・ガリプオールは弁護士の仲介で出頭した。ジェム・ガリプオールは、父親が代理人に指定した弁護士と連絡をとり、自首すると話した。二人の弁護士はジェム・ガリプオールが来るといった高速道路E5線バフチェリエヴレル地点に行き、路側帯で待機し始めた。アイテキン・カヤ弁護士は、ジェム・ガリプオールは0:45に来たとし、「ジェムは車に乗っている際、『パパが逮捕されていることに自責の念を感じた。それにはとても悲しい。おなかがすいた。僕にサラミの入ったパンを買ってくれないか』と言った。そして、カーステレオでフランク・シナトラを聞いていた。バフチェリエヴレルのどこかでサラミの入ったパンを買った。そのほかのことは話さなかった。それから県警察へ行き、そこから警察治安局へ引き渡された」と話した。

警察治安局に引き渡されたジェム・ガリプオールは、最初の手続きの後、健康診断のためにシシュリ教育研究病院へ連行された。健康診断の後、ガリプオールは、再び警察治安局へ連れて行かれた。

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( 翻訳者:近岡由紀 )
( 記事ID:17476 )